
本日午後1時半、携帯電話が鳴る。
「モシモシィ、コウコク ミテ デンワシマシタァ。ムズカシイシュクダイ アルノデ I need your help !」
と。
そう、
わたくし、ついに
日本語教師として
初の生徒を
ゲット致しましたぁ!!
万歳。

以前書いた通り、とある場所に「日本語教えます」という広告を貼ってから、待つこと1週間ちょっと。ついにこの日が来た!
あまりの嬉しさにホストファミリーやら友達やらにテキスト。(※テキスト=メールの事)
しかし、肝心の授業は・・・と言うと、これがまたえっらい難しい日本語の新聞記事を見せられて
「ボクニハ トテモ ムズカシイ」
って、日本人の私にとってもこれは難しい!
A級戦犯とか、ひめゆり学徒隊とか、高校入試レベルの記事にこっちもしどろもどろ。何とか無事に30分経過した所で今日は終了したものの、彼はリピーターになってくれるだろうか。乞うご期待。

さて。今日は友達に誘われて(というより無理やり誘わせて)、
キウイ男子とのパーティーに
行ってきた

先日一緒にスキーにいった時、友達がキウイの子に
「日本には合コンつーものがある。男子女子同数で、一緒に飲んだりゲームとかしたりするんだよ」
と話した所、いたく気に入ったご様子で
「それ、おもしろい!やろう!」
と。
ゲームについては”山手線ゲーム”系をイメージしてたものの、英語がうまく伝わらなかったのか、
「ゲームね、じゃあモノポリーやろう!」
ってモノポリーか・・・何かちょっと違うような。でもまあ良し。

という事で友達の家にてホームパーティーならぬホーム合コン開催。しかし日本人女子勢、英語が苦手なためあまり会話が進まず(笑)、それでも一生懸命聞いてくれるキウイ男子達に
「あぁ、良い奴らじゃないか!ありがとう(涙)」と。
で、話は
色感覚の話に。
これがどうも面白い。キウイと日本人、全く色の感覚が違う!
例えば

日本人:「赤、又はオレンジ」
に対してキウイ:「黄色」。
えー!まじすか!
「じゃあさぁ、絵とか書くときって黄色で太陽塗っちゃうの?」
「もちろん」。

日本人:「ブルー」
キウイ:「グリーン」。
だって信号は「青になったら渡れ」じゃんー。そういえばその昔、具合悪そうにしてた私に
「顔がグリーンだよ」と言われた事があった。グリーン!?ってハルクかよ!
そしてもう一つ面白かった話題が、
血液型について。

キウイ:「日本人は血液型を気にするよね。なんで?」。
聞いてみるとそこに居たキウイ男子は、誰一人自分の血液型を知らない!
キウイ:「だって献血とかしないから、必要ないし」。
はぁ、なるほどー。
キウイ:「じゃ、日本人はいつ血液型必要なの?」
日本人:「えっと、日本人は血液型でその人物の性格をカテゴライズしがちなのね。例えばA型はきれい好き、とかO型おおらかとか。後は血液型別の相性を見たり。」
キウイ:「変だよ。」

・・・はい、ごもっともです。たった4つのカテゴリーに当てはめるのはおかしいと、そうも思います。
でもやっぱり気になっちゃうんだもん!!
何か波長が合うなと思うと、やっぱりB型だーとか、字が几帳面だなと思うとA型だったり。で、当たると嬉しかったり。
改めて、日本人とキウイとは文化が違うんだなぁと思った今日。でも確実にベジマイト・マーマイトだけは一生かかっても受け入れられない食文化、間違いない!!
日本語よかったですねー、という方。
合コンやりたい!という方。
私も自分の血液型知りません、という方。
クリックで応援よろしくお願いします。
(べっち)
信号も「緑」と言います。
これは感覚の違いなのか、ひょっとして本当にその色に見えているのか。
山手線ゲームって、どんなのでしたっけ?
以前ヨガを習ったときに「自分がそうだと思っている色が、他の人に同じ様に見えてるかどうかは誰も分からない」って言われました。うむ。
山手線ゲームはこういうのです。
「古今東西 野菜の名前ー」
「(手拍子)きゅうり」
「(手拍子)アボガド」
「もともとニュージーランド人は全員O型で、パシフィックアイランドからA型の人間がはいってきた。
だから、今でもニュージーランド人のほとんどがO型か、A型である。」
私がAB型だというと、「ニュージーランドには1%もいないわよー」と言われました。
私は、太陽はオレンジ。信号は「青信号」と言いますが、色は「緑」ですよねえ。
ジェイだったら七色に塗るかも・・・
だってそういう風に見えません??
信号は緑ですよ〜だって「緑のおばちゃん」っていませんでした?学校行くときに横断歩道とかで旗もって立ってるおばちゃん。緑になったらおばちゃんが誘導してくれるから、緑ですよ〜!
っていうジェイの持論です。
でも血液型で本当に性格の傾向がわかるとしたらとっても不思議です。
だってそういう風に見えません??
見えます。ジェイさん、いい感じですね。
私は小学校の図工の時間、先生に「好きな色に塗りなさい」と言われて、木を真っ青に塗ったらいやな顔されました。青の木があればおもしろいと思ったのに。
そうですよねー虹ですよねーあは。でも今日太陽をじーっと見てみたら、やっぱり七色の気が・・・ジェイだけですね、はい、すいません!
>青の木があればおもしろいと思ったのに。
ジェイは小さい頃、成る実によって木の色が違えばいいのになって思っていました。バナナの木なら黄色で、りんごなら赤で・・・みたいな。でもそんなのあったら、怖いですよねー今考えると。青い木ってことは・・・何がなるんだろう・・
ニュージーランドに来て気づいたことは、木になる実の色は、木の色と違う必要があるということです。できるだけ実が目立つ色。そうすることで鳥や動物達に見つけやすくするんだと思います。
ニュージーランドいたら、そういうことを実感します。遠くからでも実が目立つ。
自分の目を通してしか、世界をみることはできません。一生。
なんか深いよねー、そう考えると。
>木になる実の色は、木の色と違う必要があるということです
へぇ、そうなんですか。全然気がつきませんでした。ジェイはいつも木に成ってる実を見ると食べれるかどうかだけを気にしてしまいます。もうちょっと注意してみないとだめですね・・・笑
あと目はお大事に!
はっぴぃきうぃさん
>自分の目を通してしか、世界をみることはできません。一生。
深いですね〜これが。なんかちょっと悲しくなってきました。例えば友達でも好きな人でも一緒にきれいな景色を見ても、違う風に見えてるのかなって。同じきれいな景色を見ても、感動を共有できないのかなって。
これ、おもしろいですね。自分と全く同じ景色を同時に見ている人なんて絶対にいないですね。並んできれいな景色を見ていても、立っている位置が違うと見えているものも微妙に違うでしょうし。
色が違うといえば、同じ番組を見ても、違うテレビで見ればかなり違う色ですね。電器屋さんで並んでいるテレビを見ればわかりやすいです。人間も同じようなもんかもしれません。
そうですよね〜よく考えてみると。そうするとやっぱり「この感動をあなたに伝えたい!」なんて言う広告は、ちょっと冷めた目で見ちゃいそうです。「あたしの感動はちょっと違うのよ〜」みたいに。
でもそれだけ違う種類の人間がいて世の中って面白いんですよね、きっと。
何か自分の個性って何だろうーって思ったときに、その「見える色の違い」も「個性」の一つかなと思ったんですよね。皆違う人間ですもんね。
ちなみに、虹、オークランドでよく見ますけど、あれのスタート地点ってどこなんですかね。