kapottoです!

最近、英語の授業でインターネットやテクノロジーの進化で、どう私たちの生活が変わっていっているのかというトピックでエッセーを書きました。

インターネットの恩恵というのは、私たちは普段気づかないでたくさん受けていることがあります。

例えば、メールでどこでも相手とやり取りできる、マップ機能で迷わずに行き先までいける、なんでもわからないことがあれば、インターネットで調べれば答えが出てくる、言語が分からなくても翻訳機能で相手がなにを伝えたいのかわかる、など、気づかずに多くのことができるようになっています。

しかし、よく言われるのが、インターネットを利用できるおかげで、私たちの脳を使う頻度は下がったり、衰えの原因にもなりうるということです。ケータイという便利な機能が普及し始めたのは私が中学生から高校生に上がるころで、その前の時は、インターネットは普及していましたが、私はほとんどインターネットを使うことがありませんでした。
その当時私は、土地勘が特に優れていて、どこに行くにも大体迷わずに行くことができました。

しかし、今自分で知らない街を地図だけで目的地まで行ってくださいと言っても、自信がありません。

ほかの例で挙げれば、言語学習においても弊害があります。私は今フランス語を勉強しています。友人とフランス語でチャットをしているときに、わからない単語やわからない文があれば、すぐに翻訳アプリに頼って、相手の文を精密に理解しないまま返事を返してしまうこともあります。

すぐに返信ができるという面で、翻訳機能はとても役に立ちますが、これでは、文の構成や知らない単語などを理解する機会を減らしてしまうことにつながりますし、脳が活性化されず、いくらたっても上達しないとも思います。

ニュージーランドの別の英語学校に通っていた時の先生で、とても面白くて人気の先生だった方がいますが、その先生は授業中にケータイを使うことを禁止し、わからない単語はすべて辞書でひかせるということを徹底していました。

最近、紙の媒体で読む本と、電子辞書で読む本で、私たちの脳の動き方が変わり、紙媒体の方が記憶の定着に役だつという内容の記事を読みました。その先生はこの記事を読んだのかどうかわかりませんが、自分でわからない単語を紙の辞書で引くというのは言語学習に必要なことなのかもしれないと感じました。
紙媒体の方がいいとわかりつつ、翻訳機能を使わない方がいいとわかりつつも、何でもかんでも、私は楽な方へ行きたがる人間です。私の脳が衰えていくのを感じながらも、最新技術に依存してしまっているなと感じます。

少しずつでいいから、努力しようと思います。。。(^^;)
ではまた次回!
ニュージーランドのココが知りたい!などのご質問や、要望など、
私のわかる範囲でお応えしていきたいなと思いますので、
コメントお待ちしています!
Au revoir!
See you soon!
Ka kite ano!
(kapotto)