kapottoです!

前回、自分の意見をあまり主張しない人はニュージーランド生活に向いているとお話ししましたが、その考えに至った一つの経験を今回はお話しします。

2週間くらい前の話になりますが、友人と晩御飯を食べながら話をした時のことです。

*これは、あくまでもこの会話の中で3人が経験したなかで感じたことなので、一個人の意見であると捉えていただければと思います。
それは、ニュージーランドと日本はあまり指摘しない(もしくは間接的な言い方をする)ということです。

日本では、何か問題があったり、その人に直してほしいところを指摘するとしても直接的に、「あなたのここが悪い」「こんなことするな」というような言い方はしませんよね。もし直接的に言ってしまったら、相手を傷つけて、罪悪感を感じると思います。もしかしたら、そこまで大変な問題ではなかったら、自分の気にしすぎか。と言わない事も多いのではないでしょうか。

日本では、人を傷つけるよりは、問題を見ないふりをして、指摘しない。
ニュージーランドの方も、直接的に何かを指摘することを避ける傾向にあります。

エンジニアとして働く友人は、ミーティングで何か方針に指示が欲しくても、上司が何も悪いところを指摘してくれなかったり、問題があっても、原因の追及を手伝ってくれなかったりするそうです。彼女の国では、何かプライベートでも問題があったら、同僚が深堀りしてくる程の、図々しさ(?)を持っている方が多いそうなので、それに慣れている彼女にはニュージーランドのその何も言及しない態度を理解するのは難しいそうです。

そのせいで、プロジェクトの進行が悪くなってしまい、彼女は働きづらいといっていました。

ヨーロッパ出身の友人も、ヨーロッパでは直接的に指摘してくれることが多いのに、ニュージーランドではなんでも曖昧にされ、問題の本当の原因がわからない事もあるそうです。
このように、なんでも直接的に言い合う姿勢のある国では、ニュージーランドの曖昧さや、間接的な物言いに少し不満があるようです。

問題を曖昧にしたままというのは確かに危険な事だとは思います。直接相手の問題を指摘すれば、すぐに問題を解決できるかもしれません。しかし、言い方によっては、相手を傷つけてしまうのではないでしょうか。
住んでいる友人が直接的な物言いで言われて傷ついた経験があるそうです。そういうところで、ヨーロッパで留学したり、暮らしたりしている日本人は、なにか言われても気にしたりしない、図太い精神が必要だと言っていました。

基本的に相手へ指摘をしないという点では、日本もニュージーランドも似ているところがあります。日本では、社会に出ると、上司から問題を指摘されず、自分で問題と解決方法を見つけろというように、自分から察して動かなくてはいけません。
今まで私はニュージーランドの人に傷つく事を言われたことや、問題点の指摘をされたこともありません。そういったところで、日本で社会経験のある方はもしかしたらニュージーランドでも自分で問題を発見・解決できるかもしれません。また、直接的な言い方に慣れていない繊細な人でも暮らしやすいのではないかと思いました。

間接的であることで、相手を傷つけずに済むか、効率や相手へ期待して、問題を直接指摘するのか、それぞれの文化によって大きく違いがあるんだなと感じさせられた経験でした。

ではまた次回!
ニュージーランドのココが知りたい!などのご質問や、要望など、
私のわかる範囲でお応えしていきたいなと思いますので、
コメントお待ちしています!
Au revoir!
See you soon!
Ka kite ano!
(kapotto)