kapottoです!
9月8日の水曜日からオークランド以外の地域ではレベル2になりました。

(オークランドは未だにレベル4です。

以前のレベル2の生活は、ショップに入るときやどこに行くにも特にマスクは必要なく、正直に言うと、お店によって規制の厳しさも違いがあったので、感染予防効果というのは見受けられませんでした。
しかし今回はレベル2の規制が見直され、レストランやショップも含め屋内の公共施設に入るときにも、マスクが必須。加えて手の消毒が必要で、Tracing appのスキャンなどコンタクトトレーシングは、12歳以上全員に対し「必須」となりました。
公共の場所ではマスク着用が義務というルールは日本と同じような状況ですが、ニュージーランドは日本の様にマスクが必須のところでなければ、マスクを着用していなくても、周りから白い目で見られることもないので、とても気が楽です。
母親と話をした際に、日本でマスクを着用していなければ、周りからとても白い目で見られると言っていました。
それは、政府がマスクの着用を強制はしていませんが、多くの人が当たり前にマスクを着用していて、それに従わなければ、非国民のような目で見られるそうです。
何故、日本は大多数の人がしていたらそれに従わなければならないという暗黙のルールがあるのでしょう。
国民性を表した面白いジョークがあります。船が沈没しそうなときにそれぞれの国民性によって海への飛び込む際の指示の仕方が違うことを表したものです。
アメリカ人には、「飛び込めばあなたは英雄だ」
イギリス人には、「飛び込めばあなたは紳士だ」
イタリア人には、「飛び込めばあなたはモテる」
では日本人は? 日本人には「みんな飛び込んでますよ」。
このジョークからわかるように、大多数に従う傾向があります。私も小学校の頃に、総合活動で何かを決めなくてはいけない際に、多数決で決めていたのを覚えています。小さいころから大多数が正義!の様に自然に覚えていってしまったのかもしれません。
しかし、マスクをしたくないのに周りから批判的な目で見られ、排他的に思われてしまったら、その人は窮屈な気持ちになってしまうでしょう。
海外に出て、他人の目線で日本を見ると、大多数に従うことが良い事なのか、自分の気持ちは考えないのか?と少し大多数に従うルールに疑問を持ってしまいます。
しかし、マスクは他人の顔の表情が読みづらさせ、もし、このマスクの着用がこれからもずっと続くようであれば、コミュニケーションに影響をもたらしてしまうのではないかと、私は不安に思っています。
マスクはワクチン接種率が100%になっていない今の状況では必要な事かもしれません。
マスクしなくても、感染の心配がない安全な世界がはやくきますように。
みんなが、国全体が安全であるように、それまではルールに従って生活しようと思います。
ではまた次回!
ニュージーランドのココが知りたい!などのご質問や、要望など、
私のわかる範囲でお応えしていきたいなと思いますので、
コメントお待ちしています!
Au revoir!
See you soon!
Ka kite ano!
(kapotto)