
英語がわかるようになって感じてきているのは、違う視点から物事をみることができるようになってきたということです。
最近それを良く感じたのが、「Seaspiracy」というNetflixのドキュメンタリー映画を観た後に読んだ記事でした。
「Seaspiracy」は、世界で起きている海の環境汚染や、魚の大量捕獲による海の生態系破壊について撮られたドキュメンタリーです。
その中で取り上げられていたのが、和歌山県、大地町のイルカ漁についてです。多くの日本の人は日本でイルカが捕獲され、食用として、また、水族館のエンターテイメント要素で売られている事実を知らないと思います。
日本政府はできるだけこの事実が知られないようにしており、この映画でも海上保安庁の人達がこの漁を行っている付近で、誰かが映像に収めないようにと監視している光景が写されていました。
このドキュメンタリーで写された、イルカたちがヤリで突かれ、たくさんの血を流して死んでいく様子はあまりにも衝撃的でした。
海の生態系でトップに位置するイルカやサメなどの動物たちの糞がバクテリアのえさとなり、魚たちの餌となる。うまく循環していた生態系が、人間の手によって壊され、海の生態系は刻一刻と深刻化しています。このままの状態が続けば、2048年には海に魚は消えてなくなると言われています。この映画を見て、人間のやっていることの愚かさと生態系が壊れる恐ろしさを学ばせてもらいました。
その映画を見た後、このイルカ漁について日本語、また英語の両方で調べてみました。
結果、日本語、英語で書かれている記事は全く異なる視点で書かれている事に気が付きました。
日本語で書かれている記事は、この大地町の伝統的な文化を継承するために行われている、や、捕獲したとしてもそのうちの半分は逃がされている、等、実際に捕獲した数などを曖昧にしていました。
日本の記事でも、この事に反対的な意見が書かれている記事も見つける事ができましたが、英語で書かれた記事と比べると、この漁に保守的な意見が多く書かれています。
世界的に、イルカやクジラを食用目的で捕獲することは禁止されていたり、批判的な意見が多いです。
英語で書かれた記事は、この漁に完全に否定的な意見で書かれているものが多く、特にウィキペディアでは、日本語と英語で書かれた事に大きな違いがあることがわかります。
日本語だけで読んだだけではこの事実を見つけることはむずかしいと思います。こうやって違う言語で日本を見ることで、私は日本の問題に気付くことができました。
今回は、英語と日本語の2つの視点から見て違いを見つけることができましたが、他の言語ではまた違う視点が見つかるかもしれません。
物事を多角的に見るためにも、英語や他の言語を学ぶことは本当に大切なんだと、改めて感じさせられました。
参考リンク
ウィキペディア
日本語版:太地いさな組合
英語版:Taiji dolphin drive hunt
近年の記事
英語版:Taiji cove hunt BBC news
Netflix 2021 documentary 「seaspiracy」