Auckland Photo Day 2009
少し前のことになってしまいますが、6月のしゃしんのはなしを。
ドイツ人の友人が6月にあるコンテストに写真を応募しました。
2004年から開催されているオークランドの写真フェスティバル。
2009年は6月6日、24時間の間にオークランドで撮った写真が対象で、カメラを手にする事のできる全ての人に応募資格があります。
その日は確か雨がぱらつく曇りの日でした。
私はなにをしていたかな。その日の日記。
6/6(土)
Mちゃんは赤いウィンドブレーカーで日本食を食べながら、なにかの話を。
具を入れすぎたオムレツに卵が悲鳴をあげている。
夜ご飯が二回やってきた。
モダンマンションの一室で韓国料理とソウジュにありつけた上に、家の中がまさかの温かさ。友達の友達はともだち。
銀色のお箸は重い。
と、こんな日でした。どんな日だ?
私が銀色のお箸で辛い食べ物を食べているときに、私の友人は街の中心部でコンペティションの為の写真を撮っていました。その中から3枚の写真を応募しましたが、ベスト30には選ばれませんでした。
だけど彼女の写真は、6月27日付のニュージーランドヘラルド(新聞)に載ったのでした。
アート関連の賞って何を基準に選んでいるのだろう。いつも不思議。
必然的に主観が入ってしまうのではと私なんかの素人は思うのですが。



受賞した30作品
http://www.photographyfestival.org.nz/photo-day/index.cfm
きっとこの他にも膨大な数の応募があって、その写真が事務所みたいなところに山のようにいっぱいになっている光景が思い浮かびました。
その全てが同じ日に撮られている。ただそれだけのことなのに形になるとものすごい。
いつもは背景と化している街行く人は、みんなそれぞれの目で同じ日の同じ時間の世界をみていて、それぞれに何かを感じたり感じなかったり。
世の中ってデッカイわあ、なんて言葉にすると何だかちっぽけな、当たり前のことを当たり前にしみじみと感じた私の目。
彼女の写真がどこか寂しげだと思ったのもまたわたしの眼

いい写真ですね、という方。
掲載された新聞みました、という方。
私も写真撮っています、という方。
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(ayako)
私も赤いウィンブレのMちゃんとご飯を食べ、デザートにCIVICのアイスの後、2度目の夜ご飯がやってきて、それが韓国料理でした・・・
たまたま開いたayakoさんのblogの思いがけない偶然に、興奮のあまり、コメントなんて慣れないことに手を出してしまいました。。。うっかり。
先日友人とアートギャラリーに行って、いろんな絵画作品を見ながら、「写真ならまだわかるけど、絵を描く人はすごい。だって何もない白いキャンバスからこんな作品を生むんだから。」とか勝手な感想を述べてみたのですが。アートの才能も知識も皆無の分際で。
でもやっぱり写真を撮る人もすごい。
そこにあるものを撮るんだから同じ被写体を撮ったら同じに写るはずなのに、これだけ違うものができあがるんですもんね。そこにはセンスや感覚、技術、とかいったものだけじゃなくて、撮る人の感情的な部分や人柄まで溶け込んだりする・・・って思うとやっぱり奥が深いなって思いました。
あやこさんは写真を撮ったりされるんですか?
あ。しまった。うっかりががっつりに・・・
キリなくうだうだ、が悪い癖なので今回はこのへんで・・・。
次回も楽しみにしてます。
私も偶然にもアートに関しての才能、知識、皆無の分際です(笑)
私には小さな脳みそで色んな事を何でも考えてしまう悪い癖があります。
たまに思うのですが、物事をつきつめて考えたときに言葉ってやっぱり限界があるけど、アートってその先にあるものな気がしたりすることがあります。
正解じゃないかもしれないけど。
bo-chanさんは感受性の豊かな方なんですね。
またうっかりとがつがつお願いします(笑)
次回も楽しみにしています。
物事をつきつめて考えたとき、予想外のふいうちで新種の感情に心を占領されたとき、(おセンチなときは特に)どんなに言葉を駆使しても到底その大容量の感覚と感情に追いつかないときってあります。
アートは表現の手段として言葉よりも先にあるもの・・・なのかもしれないですね。
だけどきっとアートは言葉よりも抽象的で、それを観る側に作者の表現したいこと、伝えたいことがそっくりそのままの形で伝わることはかなり低い確率でしか起こり得ないと思います。
そう思うとそもそもアートと言葉では、同じ表現の手段の一つではあるにしろ、その先にある目的自体は違うような気がしますね。
言葉が相手に何かを伝えるものだとしたら、アートは自己表現的なものがより強いのかなと。
なんて、またうっかり悪い癖が・・・
その分野の評論家かスペシャリストのように知ったかぶりとかっこつけをしてしまうのも私の癖です。
ちなみにこれは
本人いわく、“超青春62歳、love満開”の、父ゆずりの癖です。
早速のうっかりがっつりありがとうございます。
言葉の先→アート
アートの先→ラブが満開=62歳
これでどうでしょう?
お父さん、リスペクト。
また説得力のある評論を聞けるのを楽しみにしています☆
そうか、だから雨だったのか・・・
私としたことが気づきませんでした。。
かわいいコックさんめ。
ちなみに彼女の写真は普通のデジカメです。
3年前のIXYだったかな。
一眼デジカメを買う為オーペアをしながら貯蓄中です。
コッペパンが食べたいです。スージーちゃんのやつ。
その頃の私は、なかなか思うようにいかない毎日をモヤモヤしたまま過ごしていたと思います。こんな状況でもし私も写真を撮っていたら、、、曇った写真になっていたのかな〜と考えてしまいました。
ayakoさんの言うように、写真の審査って審査員の主観は必ず入っている気がします。でも、やはりイイものは誰もがイイと感じられる作品なんだろうな〜と思いました。人それぞれ感じ方は違っても、その写真から送られるメッセージみたいなものが強く表現できているのかな??私も素人なので審査基準がよく分かりませんが…。
わたしは曇った感じの写真、すごく好きですよ(笑)
あと人がもやもやしてるのも何となく好きです。(性格わるい?)
イイものを見抜く力が私にはないから、やっぱりアートの世界は程遠いのかな、なんて。
だからこそ憧れも強いんですけどね。
カミサマ次生まれ変わったらアートの世界にお願いします。
アートとAyakoさん、面白い対比ですね。そもそも、Ayakoさんの存在そのものがアートなのかもしれませんね。だって、”超青春62歳、Love満開”のお父さんの娘なんでしょ。さてさて、この芸術作品は“ぼんやりNZ旅”の先にどんなアート作品となるのでしょうか?
楽しみですね!
つんちゃん
ラブ満開はbo-chanさんのお父さんです。
つんちゃんさんのコメントがアート満開すぎて解読が難しい。。
こんなわたしはまだまだなのです。
はやくおいつけるようにがんばります。
前回書き込みしたように、《その分野の評論家かスペシャリストのように知ったかぶりとかっこつけをする》だけであって、決してアートなかんじではないのであしからず・・・。
まあ、ある意味ではアートかな。
顔とか。アートというか創作、的な。
つんちゃんさんのほうがよっぽどアート的だと思いますよ。読解力にはやや欠ける部分があるようですが(笑)、アートに読解力は不必要ですもんね。
anyway・・リスペクト!!