
さて、今日は私が「心がけていながらも、なかなか実践できないこと」についてお話します。それは「断り方」と「的確な意見の述べ方」です。
まず、最初に「断り方」について、お話します。
例えば、私が学校で先生や友人に「質問してもいい?」と尋ね、彼らがそれを断るとき、「ごめん。あと10分待てる?今、打ち合わせ中だから」「ごめん。今は仕事に駆けこむので無理。でも、○時以降は時間があるから、それでもかまわないなら、連絡して」etc…
彼らの「No」は「謝罪・その理由・代替の提案」の3点セットで構成されます。単に「No」と言われたら、私も何が理由か分からず、また相手の口調によっては「何か怒らせたのかな?」等と、余計な憶測も働きます。

それが「No」の理由が明確であれば、例え相手の口調がそっけなくても「今は時間がないから、つれないのね」と、考えることができます。また、それに加え、私も彼らの「No」に対して「問題ないよ。自分のことを第一優先にしてね。」とか、仕事に急ぐ彼らには「気をつけてね」と、相手を思いやる言葉が、自然と出てきます。

いつもこんな「断り方」をする、彼らのおかげで、私は質問が苦になるどころか、むしろ安心して、彼らの懐に飛び込んでいます。断られることに、いい意味で免疫が出来ました

しかし、一方の私は「ごめん」だけで、言葉が続かず、自己嫌悪に陥ります。それでも、最近、少し口が慣れてきましたが、まだまだです。

次に「的確な意見の述べ方」です。
ある日、新しい帽子を購入したフラットメイトが、得意げに「Umi,どうこの帽子?」と尋ねました。私は「かっこいいね。いいんじゃない?」と一言。
すると、彼は「それだけ?Umiはこの帽子は嫌いなの?」と不満顔。

「しまった」と思いながら「私は前の帽子のほうが、好きだから」と説明。しかし、再び「前の帽子のどこが好きなの?形?色?具体的に教えて」と、質問攻め。「前の帽子の色が、あなたをより賢そうに見せるから」と答え、やっと、この質問から解放されました。

このケースのように、友人達から意見を求められたとき、私は相変わらず「当たり障りのない」ことを答えます。でも、彼らはそんな私に質問を続け「より具体的な私の意見」を引き出します。
相手を不快な気持ちにさせず、具体的に自分の意見を伝えること。難しいですね。日本語でも、私は伝えられないかもしれません。
「断り美人」「言葉美人」になりたいものです


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(Umi)
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I'm sorry I can't use Japanese on this computer, so I will use English just only this time!!
It is interesting about the "words", but it is more interesting about the "response".
Also, it is important to know how to read the atmosphere.
Nice topic!!
はじめまして♪
コメントありがとうございます。
そして、ブログも気に入って頂けて、本当に嬉しいです^^
これからも、いろいろな視点で書いていきたいと思いますので、いつでも遊びにいらしてくださいね。
お待ちしています♪
Ai様
コメントありがとうございます。
良いことも悪いことも含め、返事一つで結果が異なることもありますね。
例え悪い事態でも、それを好転させるような話し方や対応ができたら、素敵ですね♪
仰るとおりですね。私もよく考えます。
そこで最近は「日本人であるより、地球人であろう」と考えます。
学校で多様な国の友人と過ごすとき、集団になると、それぞれのお国柄が出ます。
ただ「個人」として付き合えば、中には「日本人より日本的は考え」を持つ人にも出会います。不思議ですね♪
「地球人であろう」は、私にとって呪文の言葉。迷ったときに、リラックスして自分のスタンスを見出せます♪
何だかえらそうなことを書いてごめんなさい。きっとこの言葉は、まだNZの社会の荒波に揉まれていないから、言えるのかもしれません。