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2009年12月11日

現実感と異邦人

こんにちは。先日クライストチャーチは最高気温28度をマークし、真夏となりました。紫外線指数も最高レベルで晴れた日に外出するときはUV対策が必須です。晴れ

わたしがニュージーランドに来て感じた感覚の変化は、以前時間の感覚について書きましたが、今回はもう一つの変化、ずばり日本に対する心理的距離感について書きたいと思います。難しいようですが、何のことはない、日本が遠く感じるなあ、という話です。

NZに来て2ヶ月くらいたったころ、わたしは日本を舞台にした小説を書き始めました。そのとき気がついたのですが、自分が経験した思い出の東京や日本と、小説を書くとき想像する東京が、まったく同列に感じたのです。つまり、リアルに体験した日本のことと、空想の中の日本が、同じ感覚で捉えられることにわたしは驚きました。これは今までなかった感覚です。

あたりまえですが、日本にいるとき日常のすべてはリアルです。それが、ニュージーランドに来たことで自分の現実の舞台が変わり、日本は遠ざかったのです。もちろん日本のことを忘れたわけではなくて、今もネットで日本のニュースやサイトも見ています。にもかかわらず、つい3ヶ月までいた日本のことが、まるで去年より昔のことのように思えるのです。この距離感の変化を自覚したとき、わたしは「異邦人」になったと思いました。異邦人というのは昔歌の題名にもなりましたが、本来は「外国にいる人」という意味です。つまり、自分の立ち位置が日本ではなくニュージーランドになったと思ったのです。

この感覚をこうして説明しても、日本に住んでいる人には想像しにくいと思います。異国情緒とはまた違うんですよね。外国でのものめずらしさは、日本を基準にして感じるものです。でも今のわたしは、すでに日常となったニュージーランドの中から遠くの日本を見つめている。わたしは日本人です。でも異邦人なんです。

小説を書き進める中で、日本を想像することはそんなに難しくないです。でも、かつていた日本の実家や地元のことは、何か思い出しにくい。これは不思議なことだなと思います。ただ、そんな中でも友人や家族と連絡したりメールしたりする中で、自分をつなぎとめてくれている存在のありがたさを感じます。

たぶん、日本にいる知り合いから見て、ニュージーランドにいる自分は遠い存在かもしれない。でも、同じ空の下で、お互い元気でいることを伝えることで、思いの距離は遠くならないと思います。今感じているこの距離感は、ちょっと心に留めておこうと思います。そしていつか帰国したとき、自分のリアルが何なのか、確かめたいと思います。

ひらめき
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(hisawo)
posted by キックオフNZ at 04:56 | Comment(4) | NZ Life
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