このことばには、最初の頃の志しや意気込みを持って物事に取り組むこと、未熟さや未経験の時を忘れないことの意味があります。私の場合、少しニュアンスが違うかもしれませんが、なぜか急にこの言葉が頭をよぎることがあります。そしてNZに慣れてきた今、その頻度が増したように思います。
以前からこの言葉を自分に言い聞かせる習慣はありました。日本で働いていた時に、慣れるということの怖さを意識しました。もちろん慣れることは良いことでもありますが、慣れからくる無意識の行い、もしくは行いの欠如が時として大惨事を招くこともあるのです。

私の今の仕事、旅行客の方々を相手に街を案内すること。私も来た時は右も左も分からない街だったのに、今ではだいぶ慣れてきて地図を見ないでも少しは説明できるくらいになりました。

それは良いことであると同時に、はっと気付くことがあります。

旅行に来ている方々は、この街のことを何も知らない。それなのに、なぜか分かっているようにお話ししてしまう。自分が分かっているだけなのに…。
下調べをしてくる方もいれば、全く知らないで来ている方もいます。時々、自分が予想もしていないほど全く何も知らない方もいます。
自分が最初にここに来た時、何を知りたかったか?何が分からなかったか?それを常に考えるように心がけたいところです。
そして私の初心はこの仕事に関することだけではなく、日常生活でも同じ。ここNZにいて、たくさんの文化や習慣の違いにはじめは驚いてばかりでした。それが今ではあたり前になっていきています。そして、初めて見る人が驚いているのを見て、これは新鮮なことなのかと再認識したりします。旅行中でも、行く前まではどんなところかワクワクしていて、最初の感動は言葉では言い表せないものです。しかし、2度目3度目・・感動はうすれていきます。それが自然の心理なのです。


そうだと分かっていても、なぜか寂しい気持ちになるのも事実です。例えば、私が一度行ったことのあるところへ知り合いを案内する。私も最初はとても感動して、またこの感動を一緒に味わいたいと思う。ところが、私は2回目で感動の大きさは全く違うものなのです。
そこで私は意識的に初心に戻ろうとします。なんでも初心に戻る必要はないのかもしれませんが、そこに戻ろうとするとき、何かが見えてくる・感じられるような気がするのです。

日々学んでいくことはもちろんあるけれども、学ぶと同時に初心に戻るという作業はとても大事だと思います。はじめはこのふたつは矛盾していると思いました。日々学ぶことが進歩だと表現すると、初心に戻るということが全てを知らない状況になる退化だと解釈し、このふたつは正反対の作業だと思えたからです。でも実際には、初心に戻るというのは学ぶきっかけであるのかもしれません。

事実、色々なことに慣れてきた時に初心に戻るというのは大変難しいです。精神的にも、単純な志や意気込み以外の、気持ちの変化や感情は出てくるものです。その中で、多くの雑念を捨てて原点を見つめなおす。
しかし、何かに迷った時、そこに答えがあるような気がするのです。
今、私はワーホリを決めた初心に戻ろうと試みています。
そして、今まで色々なものと一緒になって見えなかったものが、少し見えてきた。
ほこりだらけの部屋に外から一筋の光が入ってきて、
太陽が沈む前に、それが何かを必死に見分けようとする。
何かを迷っている時、一度初心に戻る作業。
お時間があったらぜひ一度お試しください。


Lisa さん、いいこと言いますね、という方。
初心に戻ります、という方。
迷っています、という方。
クリックで応援よろしくお願いします。


(Lisa)