
さて、突然ですが、最近「私と英語の関係」が劇的な転換期を迎えています。

その大きなきっかけとなったのは「英語を日本語に置き換えて考えない」という、このフレーズの真の意味を自分で理解したことです。

これは物の本に書き記されていたり、また通訳をしている友人や先生からも、口酸っぱく言われてきた言葉です。それを聞くたびに「私は日本語で考えていない」と自負しておりましたが、ある日友人が「We have 10 minutes left.」と言ったときに、私は「残り時間10分」と頭で反復していることに気づきました。

これが英語を日本語に置き換える行為なのです。
(但し、これはあくまでも私独自の解釈であることをお断り申し上げます)
これは内容は理解しておりますが、後から自分がそれを使おうとしたときに「あれ?彼女は何と言ってた?」と、英語のフレーズが出てきません。

それ以来、私は英語で反復するようにしました。すると、どうでしょう。不思議なことに頭に英語のフレーズが蓄積されていきます。こうなってくると面白い。耳が1人で勝手に歩き、あらゆるシーンのフレーズを拾ってきます。私はただそれをひたすら頭で繰り返し、なるべく記憶が新しいうちに意識して使うようにしています。

その小さな私の英語に対する改革の結果でしょうか?
先週、私たちがレポート作成、先生はその採点を教室でしながら、個別に生徒を呼んでアドバイスを与えていました。すると突然、彼女が「Umi,どうしたの?私は信じられないわ。」と大声を出しました。私は「ひえ〜っ。また何かとんちんかんなレポート作成をしてしまった」と、心に暗雲が立ち込めました。

しかし、次に続いた彼女の言葉は「いいレポートだわ。皆聞きなさい。Umiのレポートは私が求めている答えが網羅され、論理的に構成されているわ。アイデアが浮かばない人は、彼女のレポートを読むように」という、私が度肝を抜かれたものでした。

レポートの大半は、授業中に使われた資料から必要事項を抜粋し、それに加筆をしているため、そんなに褒められたものではありません。しかし、その資料を持て余し気味のクラスメイトを他所に、自分が最初に合格したことは、私にとって大きな自信へと繋がりました。

ただ、その後も先生は「信じられないわ」と繰り返しており、私を入学当初から知る彼女にとって、まさに「青天の霹靂」であったことが物語られていました。

日本語に置き換えることすらできません、という方。
英語って、奥が深いのですね、という方。
レポートお疲れ様でした、という方。
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(Umi)