
さて、私はNZに来てから、季節の変わり目を迎えるたびに、残念に思うことがあります。それは、季節の移り変わりを「五感で楽しむ」機会が減ったことです。

私は日本にいたとき、次のように無意識のうちに「五感」で季節の変遷を楽しんでいたと思います。
まずは「視覚」。スーパーや八百屋の店先で、その季節特有の果物を目にするとき。例えば、春の苺、夏の西瓜、秋の柿に、冬のみかん。それから、街のショーウィンドウ、各行事のイベントやCMで季節を知ることも、数多くありました。

また「聴覚」に訴えるもの。それは、街を流れる音楽に野球の実況放送、どこからともなく聞こえる風鈴の音色、花火の音、太鼓やお囃子、虫の声。

次に「嗅覚」に誘われて進んだ先で目にする、川原で楽しむBBQ、熱々の肉まんをほおばる学生や、焼き芋屋台やラーメン屋台を楽しむ人々。時には、花の甘い香りに、むせ返るような草いきれにも季節を教えられました。
それから「触覚」は、背中を伝う汗を感じ、舞い散る落ち葉の上を歩くときに、耳がちぎれそうな寒さのなかを歩くときに、季節を受け止めて。

最後に、言わずと知れた「味覚」では、春の筍、夏のハモ、秋の秋刀魚に、冬のアンコウetc。俳句の季語にもなるほど、その季節を代表している食べ物ですね。また、今では1年中手に入るじゃがいもや玉葱にも「新じゃが」「新玉葱」と呼ばれる限定期間があり、私達に旬の味を運んできます。

もちろん、今も五感は持ち合わせておりますので、NZにいても季節の移り変わりを楽しむことはできます。
ただ、私にとっては、NZの季節の変遷は「やや繊細さや情緒に欠ける」というのが、正直な感想です。これは私が日本人特有の感情を持ち合わせていること。また、ある意味でNZは季節の限定を日本より明確に、ビジネスライクにしていることが原因かもしれません。
しかし、私がこちらに住んで約1年半余。まだまだ、NZのことを語るには歴史が浅すぎます。また友人から「本当のニュージーランドは、オークランドを離れなければ知ることができない」と、言われています。
この先、こちらでの生活を重ねることによって、私の感覚はどのように変化を遂げるのでしょうか?その時の備忘録用に、今日のブログをしたためます。



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(Umi)