
日本のインターネットを見ると、連日オリンピックの話題を目にする。でも、悲しいかな?NZにいると「蚊帳の外」。ネットで、各選手の活躍や結果を知ることはできても、メダル獲得の臨場感を楽しむことができない。北島選手の泳ぎ見たかったなぁ。

ニュージーランドは、暦の上では来月から春を迎える。最近、街を歩いていると、水仙を目にすることが多くなった。散歩コースに咲く、満開のラッパ水仙を目にすると、春が隣にいることを実感する今日この頃

フラットメイトが「寒いね」と言い、私が「寒いね」と答えながら彼を見ると、半袖Tシャツに、マフラーと毛糸の帽子の彼。一方の私は、起毛スリッパ、薄いブランケットを腰に巻き、フリース着用。「なぜその格好で寒いと言える?」と、互いに吹き出す、昼下がり。


スーパーのレジで、前に並んだ男性が、妙な動きを繰り返す。ふと、彼の足元に目をやると裸足。寒いのか、片足をもう片方の足に激しく擦り合わせている。この日は雨。「雨の日は、せめてビーチサンダルを履きませんか?」と、心の中でつぶやいた。

学校のエレベーターでの出来事。裸足の学生が、エレベーターに入ってきた。それを見た先生が「君の靴はどこ?」「玄関で私を待っているわ」と微笑む彼女。そんな私の学校は、「靴を履いて学校に来ましょう」と、謳っている。

チャイニーズマーケットに行ったとき、中国語で話しかけられ、中国人でないことを伝える。コーリャンマーケットでは、韓国語で話しかけられる。ジャパンスーパーでは、日本語ではなく、英語で話しかけられる私は、一体どこの国の人?

3歳のおしゃべり好きな友人の子供。私に英語の本を読ませては、その発音訂正に一生懸命。ケラケラと笑いながら、何十回と繰り返し、ママに「もうそこまで」と叱られる。それを楽しみながらも、音の違いが分からずに、自分の聴力に自信喪失した、雨降りの週末。

街を歩いていると、微かに聞こえる懐かしい音色。それを辿れば、小さな店先から流れくる演歌と出会った。どんな雑踏にいても「日本の音」は、耳が捉えて離さない。「私の聴力は異常なし。英語耳を持たないだけ」と、認めたくない事実を認める瞬間。

ある日、異性に対する「Like」と「Love」の違いを、彼らなりの定義で、語り合っていた友人達。その厳密な使い分けに、興味深く耳を傾けながら、「そういえば、私は恋人に愛してると言ったことがあったかな?」と、記憶を辿り寄せた夜。


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(Umi)