
子供のときは、同じ学年や性別、似通った趣味、気の合う友達と付き合う傾向がある。よくあること。でも大人になるといろいろな状況の人に出会い、だから性別、国籍、年齢、そして性格も何も関係なしに付き合う。凄く楽しい。

私はその人の人生の話を聞くのが好き。皆それぞれドラマがあって、違う意見を持っていて、「へえ〜」といつも興味深く、自分の刺激になる。

そして今、こまっちゃんの話。私は素敵な友達がたくさんいて、彼らは私を刺激して大きな支えとなる。こまっちゃんはそんな素敵な、大切な友達の一人で、こまっちゃんの人生もまた私の人生を刺激する。

こまっちゃんは本当に凄い子。K2という世界第2の高峰に登頂。日本人女性初ということで去年朝日スポーツ賞を獲得した。(その年の朝日スポーツ賞はサッカーの中田や荒川静香も得た、とにかくすごい賞。)
「登山家」という肩書きのはずなのに、本人は小さくて華奢で、色白でかわいくて、本当に「こんな子がねぇ」と皆本人に会ったら驚くに違いない。

そして話してみれば良識のある礼儀正しい普通の子。でもいい意味で普通でない。やはり何かが違う。死と隣あわせの環境を何度も体験した彼女の感覚は何かが違う。深い。こんな私の性格と、一見静かそうなのに話し始めると止まらない彼女で、私達が会うといつも何か深い人生の話になり、でも彼女はその「深い話」をさらっとする。だから私の心にもさらっと入ってきて、自然と吸収される。

こまっちゃんの人生は彼女がよく言うように
「水や空気みたいに、自然に流れるままに生きて生きたい。」そのもの。
本当にそう生きている。私はこんなに社会や時代に汚されることなく、自然体、本当の自然体で生きている人をみたことがない。口で言う人は沢山いるけど、それを実行に移す、自然とそうできる人は少ないと思う。
去年は自転車で東京から沖縄まで下ってさとうきび畑で働いた。
そして帰ってきたと思ったら牧場で働いていた。「毎日牛の世話で大変なときもあるけど、すごく幸せ。」
そして、今度のメールでは、
「来月からモンゴルからイスラエルを半年かけて旅してきます。」と。
そのメールが私の心に凄く響いた。なぜだか今の私には特に響いた。
私は人から「行動力がある」「ガッツがある」とか「常に前進して止まんない」と言われる。でもぶっちゃけ心のどこかで、そうしたい一方「頑張って」そうしている部分もある。言ってしまえば「憧れの自分でいるために」頑張っている部分がある。普段は自然でいられるのに何か行動を起こすとき、「うっしゃ、やるならやるぞ。」と気合を入れる。それは普通の話かもしれない。なぜならそれを「頑張る」というのだから。
でもこまっちゃんはそれがない。それがみえない。K2登頂や、他にも凄い山に登っているのに、「頑張る」という気合がいい意味でなく、そのかわり「自然さ」がある。今までいろいろな人に出会ったが、それがあるのはこまっちゃんだけ。言葉では表しにくいが、リラックスした性格、穏やかな性格という性格の話ではなく、彼女の存在自体が「自然そのもの」なのだ。

だからか、海外生活を始めて、いつも目標に向かって何かをしている私にはこまっちゃんの存在は大きい。私が持っていないものを持っているから。
彼女の目は本当に透き通っていて、彼女を、彼女の人生そのものを表している。
誰かの人生がこんなにも自然と私の中に入ってきて知らずと安らぎを、そして刺激をくれる。
なんだか不思議な感覚だ。

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(Ai)