小さな「幸せ」でも大きな「幸せ」でも何でも。

(また食べ物の例だが)おいしいアイスクリームを食べるだけで、
「うまい!幸せ!」

一日の面倒くさい勉強や仕事が終わった後の
「終わった!幸せ!」

とにかく何でも。
で、最近英語に関して小さな「幸せ」を感じている。

初めての留学のとき、英語で海外の人々とコミュニケーションをとることができるだけで、「すごい!」と思ったし「そんなことできたら幸せ!」と思った。
その当時はもちろん四六時中辞書を片手に、でも実際に人を目の前にするとそんな辞書をひくなんてことをする前にどうにかこうにか通じようと必死になる。ジェスチャーなり表情なり、知っている言葉を並べて、文法なんて気にする前に「どうにか伝えよう」と。(今思うとそのおかげで表現力が伸びた気がする)とにかく、
「やった!通じた!」
とまずはその1歩で留学の楽しさを満喫していた。
ただ慣れてくると、次は「ちゃんとした英語で話そう」とか、「ちゃんとした発音を心がけよう」とか欲が出てきて、その「欲」は英語力を伸ばす為の最大の「糧」となる。
カナダでカナダ人の中で働いたおかげで一気にコミュニケーション能力も語彙力、表現力も伸びた。
やはりネイティブスピーカーと生活と共にするのは英語の為には一番の方法。
特に仕事などで「甘えが許されない状況」に自分を置くのは、英語を伸ばす為には「逃げ場のない絶好の場所」だ。ワーホリはそれができる最高の状況。
2回目のイギリスでとことん発音を注意された。
いつも「Aiはなんて発音をしているの!」としごかれ、彼らは私の仕事仲間であり先生であった。しかもアジア人に慣れていなかったため、多くの人が私の「発音」を聞きなおすことが多かった。英語を伸ばす最高の環境だった。
ロンドンや大きな都市に行くと住んでいる人も海外の発音に耳が慣れているため、どんな発音でも通じやすい。カナダはそういった意味で人々が海外の発音に慣れているため通じやすい。とにかく、観光地や都市で「自分の発音が通じる」という甘えを抜かして、「誰にでも通じる英語」がその時の課題だった。英語でコミュニケーションが取れるようになるのは簡単なこと。でもそれでも時々、「何?」と2回同じことをいわなければいけない時もあった。
それがNZではまだ1回もない!NZはNZの発音もあるし、いろんな人がいる。でもどの人に話しかけても1度で済む!英語に大分慣れたイギリス後の個人旅行でも簡単にコミュニケーションはとれるのに、たまに「だから○○だってば。」と言う時もあった。
それがNZではない!最近気がついた。英語で生活をするのには慣れ、そこで私の英語力の伸びは緩やかな曲線を描いていると思いきや、実は確実に伸びていたのだと小さな「幸せ」を感じた。
いつもテレビで聞く英語をふざけて物真似していたおかげかもしれない。

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(Ai)