
そんな頃、学校の先生が言った。
「先生は大失恋をして20日間泣き続けたのよ。」と。

当時はその先生の言うことが全くわからなかった。どうやったら20日間も泣けるんだろうと。
社会人になって留学して、どんなに辛いことがあったって自分のいる環境は愛せたし、泣きながらも「これも私の成長のためなんだ」と乗り越えられた。
自分らしくそれでも笑って、笑える環境を作り出すことができた。

今だから言える。少し前までその自分らしさを忘れていた。ほぼ毎日涙が止まらない時期があった。
私の夢は将来素敵な家庭を持つこと。元気な赤ちゃんを産んで、両親を喜ばせること。
でもその夢が叶わないかもしれないという恐怖に一瞬陥った。
私の彼に腫瘍がみつかった。その腫瘍を取り除くために手術をしなければならなかった。その為に将来もしかしたら子供ができないかもという不安ができた。最悪の場合だってありうる。
自分自身に起きることで辛いこと、それは今まででもあった。でもそれは自分が動いて、どうにかすれば乗り切れたこと。でもNZで私の身に起こることは友達の事故や彼の病気、私にはどうすることもできなかった。彼への精神的なサポート、友達のことをいつまでも想ってあげる、もちろんできることはする、それでもその起きてしまった運命を私が変えることはできない。
だからここにきて強く思う。健康な体があって毎日おいしいご飯を食べる、無事に一日が終わる、それだけで本当に本当に幸せなんだって。
そんなことを言ったら彼の体だけでなく、私の体にも、誰の体にもいつ何が起こるかわからない。私の夢が「叶わない」という言い方は間違い。それでもどうしようもないことでネガティブになるのは悪循環。
手術が終わった後、自然と涙が溢れた。今までの人生で一度もない感覚だった。
その時自然と自分の夢も目標も一瞬全て忘れて、涙が溢れた。全ての悩みも不安もストレスもどうでもいいや、と体が軽くなった気がした。
NZで私はなんでこんなにいろいろと悲しいことが起こるんだろう、と涙が止まらなかった。「神様、もうこれ以上何も起こらないで」と心から願った。人の人生を羨むことなんてなかったのにその時は目に入る人全てが羨ましかった。
でも、母の言った言葉、「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉は本当だった。どうしようもないんだから、そこで、その環境でできることで精一杯幸せを掴む。私の人生でいつもうまくいく時は笑っていた。その過程で涙を流したり挫折しそうになってもそれでも笑っていた。だから結果はいつも自分の満足のいくもの。自信に繋がるもの。笑っていると運も向いてくる。本当。
手術後日が経つにつれて、体が「もう泣くほどの涙はないよ」と飽き飽きしてくれたのか、ほっとして笑うことを思い出したか、いつも通りになってきた。大笑いすることもできた。そしたら「泣いてる暇なんてあるか」と次の目標に向かって前向きになれた。検査の結果はいろいろあってまだわからない。不安に思おうと思えば思える。
でも、今私がすること。笑うこと。なぜなら
「笑う門には福来る」だから。そしてそれは本当だから。
笑っていればその不安だって吹き飛ばすと思うから。


いいこと言いますね、という方。
笑っています、という方。
福来ました、という方。
クリックで応援よろしくお願いします。


(Ai)