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2008年06月02日

英語が話せなくとも暮らせる理由

とうとう6月!今年も折り返し地点になりましたね。日本は衣替、梅雨、ジューンブライドの季節。私は今朝、寒さで目覚めました。寒いのが苦手な私は、冬眠したい気分です。雪

さて、昨年6月、私はひょうんなことから、友人宅の「ハウスシッティング」をしました。

「ハウスシッティング」とは、簡単に言えば留守番です。ただ、それが数時間ではなく、ある程度の期間に亘り、彼らに代わってその家に住み、家を守ります。この習慣もNZではよくあることで、期間や条件は様々で定義があるわけではありません。ハートたち(複数ハート)

私の場合は、期間は1ヶ月、条件はペットの世話と郵便物整理を毎日、花の水遣りを週に2,3回。少しの光熱費を事前払いでしたが、後は特に制限もありませんでした。決定

「海外で初めての一人暮らし」。しかもそれが、NZ最大の都市、オークランドで、私は久しぶりに「自由な空間、気ままな時間」を手に入れ、いろいろなことに挑戦しました。

その一つに

「日本語だけで生活ができるか?」

というテーマも設定しました。愚かなことかもしれません。それでも私は、様々な角度からNZを見てみたかったのです。当時の私は北島の地方都市で暮らしており、「オークランドは日本語で事足りる」という、噂の真相も確かめたかったのです。

これを実行しているときは、買物はJapan マーケットか大手スーパー。スーパーであれば、レジで話す必要もありませんし、金額も表示されるので聞き取る必要もありません。必要なものを探すのにも、英語は読まずとも品物で判断がつきます。外食も日本語が通じるお店で済ませ、ネットカフェも日本人経営を選択。日本語の情報誌を読み、遊びに行くのも日本人。学校で話をするのも日本人のみ(もちろん学校の授業中は除きます)。

しかし、それが3日も過ぎる頃、私は「むず痒さ」を感じました。がく〜(落胆した顔)NZで生活している今、意識をせずとも英語に囲まれているのです。外を歩けば目に飛び込む看板、ラジオやテレビの音、行きかう人々の会話etc

それにあらがうように生きることの息苦しさを覚え、私は初めて

「英語を話したい。例え片言で、自分の意思を100%伝えられなくても、私の言葉は英語だ」

と痛感したのです。それ以来、私は臆することなく英語の世界に飛び込むようになりました。

「生活する」という定義をどこに置くかにもよりますが、日本人弁護士、会計士、不動産、医療通訳etc いろいろな日本の方も活躍なさってるオークランド。ここでは「日本語で事足りる」というのは、ある意味正しいかもしれません。ぴかぴか(新しい)

ただ、どうか誤解をしないで頂きたいのは、日本語が通じる空間はあっても日本ではありません。自分が生まれ育った所と異なる地域で生活することは、そこの長所も短所も受容しなくてはならないと思います。

私の場合ですが、NZのすべての短所や言葉の不自由さを受け入れても、ここで生活をしたいと思います。この気持ちが「英語は話せなくても生活できる」と思わせ、また「もっと英語を自由に話せるようになりたい」との思いも生み出し、私をNZに留まらせるのです。

ひらめき
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(Umi)
posted by キックオフNZ at 05:04 | Comment(5) | TrackBack(0) | 英語 (English)
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