
先日、近くの公園を散歩していたら、50代位のおじさまから「車に乗っていかない?」とお誘いがありました。私は少し話をしてから、断り歩き出しましたが、このように2,3度散歩中に声を掛けられたことがあります。

さて、皆さん、見ず知らずの男性が運転する車(同乗者なし)に声を掛けられて乗ったことがありますか?

実は私、昨年NZで乗ってしまいました。相手も1人、私も1人。小さい頃から両親に知らない人に付いて行ってはいけないと言われているのに。まあ、彼らも最近は「虫でもついてくれないと困る」と思っているので、まっいいか。

それはさておき、ある初冬の夕刻、私は大きなスーツケースを片手に友人宅へ向っていました。そこは長い坂のアップダウンが厳しい道で、辺りは暗くなり、寒さと荷物の重さで手もちぎれそう。
「荷物を捨てたい」と思った矢先に、スーッと車が横付けされ「びくっ」と身を引く私。すると、車の窓が開き
「家はどこ?大変そうだから送るよ」と男性。
「・・・」無言の私。
「どうする?君次第だよ。」と再び彼。
その後も長い沈黙が続きましたが、彼は急かすでもなく辛抱強く私の答えを待っています。
どれくらい時間が経ったでしょうか?私は
「家はここから近いので、荷物を運んで下さい。私は歩きます。」
と言いました。彼は車から降り、私の荷物をトランクに積み終えると住所を尋ねました。が、そんな彼に「私も乗ります」と突如答える私。おいおいっ

すると、彼は助手席の扉を開け、
「寒いけど窓は全開、車内灯もつけて行こう」と言って出発。
家まで約700mの短い距離でしたが、到着後、彼は荷物を玄関まで運び
「楽しい休日を過ごしてね。僕は日本に1年位いたんだよ」と手を振りながら去っていきました。
その後姿を見送りながら、「やはり私の直感は間違っていなかった」と確信しました。

「シックスセンス(第六感)」が、当時の私には強力に備わっていたのです。なぜなら、私は乏しい英語理解力をカバーするため、無意識のうちに五感をフル活用し、それと同時に本能(直感)で人々の本質を感じ取っていました。

よく幼い子供は人の良し悪しを感覚で見抜くと言われますが、同じようなものだと思います。言葉に出来ない分、普段は眠っている感覚が研ぎ澄まされていたのです。一種の自己防衛本能かもしれません。

彼の私に対する対応を見ていたとき、体の内側から泉の如く湧き出てくる相手への安心感と信頼感。今考えても、それに突き動かされるままの行動でした。

ただ、こちらで1年余生活し「英語が話せなくても生活ができる」ことを知った私は、その力を完全に失いました。今あるのは「真剣に授業を聞くときだけ、体全体が耳になる」という力でしょうか?でも、これは想像以上の体力勝負。90分の授業後はぐったり。なので、度々、3分でアラームが鳴っています・・・・。

私も乗ったことあります、という方。
今、乗ってます、という方。
乗せたことあります、という方。
第六感、持ってます、という方。
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(Umi)