
以前のフラットで一緒だったブルガリアの子が国籍取得をするというのでそのセレモニーに出席させてもらいました。

久しぶりにスーツを着て、ハイヒールを履いてみたりして。(あまりに久しぶりなんで歩きにくいことこの上なく)


みんなキョロキョロと本人を探し、家族を探し、拍手や声援、家族や親戚一同で来ていたインドの人達などなど。
私には国籍を取得するのにセレモニーがあること自体が新鮮でした。



そして、この人達は今日から同じ国民なんです。それがとても不思議でした。この国の国民としての忠誠を誓う言葉を全員がそれぞれ復唱し、一人ずつ、卒業証書のように国民証書をもらうのです。途中にマオリ族のハッカの披露があり、その後全員で国家斉唱。各自お祝いに繰り出していました。

丁度その日は私がこちらへ来て、3ヶ月経とうとしている頃でもあり、何だか複雑な気分でした。
私はこちらへきて、まがいなりにも生活をしています。でも国籍を取得するとか何か学位を取るとか、資格を取るという明確な目標を何が何でもと思っている訳ではありません。まがいなりにも生活をして、私はこの3ヶ月で何を得たんだろう?
彼等はこの国の国籍を得ている。永住権を取り、段階を追って、国籍を取り。長い道のりだったに違いありません。
つい彼等と自分を比較してしまい、自分の生活には確固たる基盤がないなと。今の生活は日本で培ったものを全て引き換えにするに値したものだろうかって。こののんびりとした空気に甘えがちな自分への反省もこめて考えてしまいました。
確かに英語の環境の中で生活しています。でも私が分かったことと言えば、自分が日本人でまだ外国人だってことです。
何かが足りない。
何が足りないんだろう?あれこれ考えてしまいました。
日に半分ほどの時間しか働いていないことか?
日本食のスーパーへ立ち寄ってしまうことか?
仕事で日本語も使うことか?
明確な何か形あるものを得るという確固たるものか?
いろいろ考えた末にたどり着いたのは、あまりにも限られた友人というのも一つあるということでした。外国人の友人と日本人の友人と(勿論かけがいのない人達です)
私が日本でのサラリーマン生活をやってこられたのは何でだろう?
目標があったから?
自分なりに一生懸命やってきたから?
大学生活が楽しかったのは何でだろう?
行こうと思っていた大学に行けていたから?
バイトや授業や一人暮らしが新鮮だったから?
どんな節目で環境を違えても、そこには良い理解者や友人がいたから楽しかったんじゃなかか、何とかやってこられたんじゃないかと改めて。
実際ブルガリアの子は、特に知り合いがいた訳でもなく、友人も何もかも こちらで培ってきたものです。
私はそこまで努力してないなと率直に思いました。
この国にずっといる訳じゃないとどこかで言い訳もしていたようにも。
そして特に、地元Kiwiの人との交流が少なかったと。
英語のクラスなど外国人同士と知り合うことはあっても、Kiwiの人と知り合う機会って少ないように思います。でもそれはきっと自分の世界を少しずつ広げていくしかないことだと思います。それは自分で行なうより他ありません。
時間はかかるかもしれません。が、人と関わる時間にもっともっと積極的でありたいと思う節目でありました。
自分が何が欲しいのか。どうしたいのか。
この節目にもう一度自問自答です。
誰でも、、好きな服を着て、自分の好きな場所に住んで、自分が好きなものを食べることができます。少なくとも、私はそうするに十分なチャンスを与えられていると思います。
国籍取得者にとっても節目。
私にとっても節目。3ヶ月。です。
でもここでの生活はまだまだ続くのです。
どんな出会いもきっと何か縁があるはず!私はかけがえのない機会にあることを忘れずにいたいと改めて。

Yui さん、いいこと言いますね、という方。
国籍取得のセレモニーがあるのですね、という方。
ニュージーランド国籍持っています、という方。
私も考えさせられました、という方。
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(Yui)