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2005年09月02日

後悔と反省

反省はしてもいいけれど、後悔はしてはいけないなどとよく言われます。


確かに後悔は、自分の犯した過ち、うまく行かなかったこと、過去の出来事に対して、「あの時こうすればよかった。」「もう一度やり直したい。」などと、どうにもならないことを考えることです。


それに対して反省は、自分の犯した過ち、うまく行かなかったこと、過去の出来事に対して、「次に同じような状況に出会った時は、違う方法で対処しよう。」と、将来に対する対策を考えることです。



例えば、留学を決めて来週出発するという時、自分の語学力の無さに気がついたとします。


その時、「仕事を辞めてからこの1ヶ月、たくさん時間があったのに、もう少し勉強しておけばよかった。なぜ飲み会ばかり参加していたんだろう。スタートから出遅れた。ああー。どうしよう。」というのが後悔。「あまり勉強はしなかったし、語学力は無い。それは時間の使い方が少し間違っていたからだ。でも、留学中に語学力を伸ばすこともできるし、これからがスタートなんだから、現地では時間をうまく使うようにしよう。」というのが反省です。



ここでの違いは、過去の過ち(というほど大きなものでもありませんが)の問題点を分析し、同じ問題を今後起こさないようにするにはどうすればいいかを考えているかどうか、という点です。



上の例を見ると、反省する前に一度後悔しそうになっているのがわかります。「あまり勉強はしなかったし、語学力は無い。」と考えた時、一瞬「やばい」と思っています。「しまった。勉強しなかった。」とあせっています。



でもその後ですぐ、「時間の使い方が少し間違っていたから」と問題点を分析し、「現地では時間をうまく使うようにしよう」と今後の対策を考えています。後悔しそうになった後すぐに反省しています。



つまり、後悔は反省への入り口なのです。言い換えれば、後悔を反省に育てることができるのです。



「やばい。これをしていなかった。」「こんなことをしてしまった。」「どうしてこんなことになってしまったんだろう。もう一度やり直したい。」などと思うことは誰でもあります。そして、落ち込んで悩んで、へこみます。でも、その場所にとどまらずに、なぜそうなったのかを考えて、今後どうするかを検討する。そうすべきだというのが、「反省はしてもいいけれど、後悔はしてはいけない」ということだと思います。


つまり、後悔はしてもいいけれど、そこでストップしてしまうのではなく、反省の領域まで考えを進めるべきだということです。


そうです。後悔はしてもいいんです。ポイントはその後どう考えるかということです。



今、いろんなことを後悔している人もたくさんいると思います。私もその一人です。それはそれでOKなんです。でも、その後悔をよく見つめなおして、最後は将来に対する対策を考えることができれば、後悔するのも捨てたもんじゃないと思います。




ひらめき

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2005年08月19日

留学という日常をドラマに変える

「留学に行けば、毎日毎日がおもしろいことの連続だと思っていました。今まで経験したことのないことが次々に起こって、いろんな人と出会う。朝、目を覚ませば昨日と全く違う一日が始まる。

そう思って留学に来たのに、実際は毎日同じことの繰り返し。確かに、来てしばらくは、見るもの聞くものが新鮮でいちいち感動していましたが、今ではもう慣れっこになってしまいました。

想像していたほどドラマチックなことなんて起こりません。今日も同じ時間に起きて、同じ道を通って、同じ学校に通い、同じ友達と話をして、同じ家に帰ってきて、同じ人たちと同じような食事をし、同じ時間に寝る。これでは、日本にいた時と変わず、おもしろくありません。どうすればいいのでしょうか。」




留学やワーホリに来る時は、誰でも夢や希望を持って来ます。



きっと日本と違う何かがある。日本にいる時と違う経験ができる。日本では出会えなかったであろう人と出会える。今までと違ったいろんなことが起こる。


日本で手に入る留学関連の書籍などにも、毎日がドラマチックであるかのように書いてあるものもありますし、留学を勧める人たちの中にも、とにかく留学に行けば新しい何かが待っていると、あたかもエキサイティングな毎日が用意されているかのようなことを言う人もいます。




確かに、留学やワーホリに来れば、日本と違う何かがありますし、日本にいる時と違う経験ができます。また、日本では出会えなかったであろう人と出会えますし、今までと違ったいろんなことも起こります。ドラマチックでエキサイティングなこともありますし、新しいことも待っています。



しかしそれは、留学している間、全ての人に毎日毎日次から次へと起こることではありません。



日本での生活という「日常」を抜け出して、留学という「非日常」の世界にやって来たつもりでも、しばらく時間がたてば、その「非日常」はすぐに「日常」となってしまいます。日常となってしまった生活は、日本にいた時と同じく、毎日が同じことの繰り返しであり、突然ドラマチックなことが向こうからやってくることはあまりありません。



では、留学やワーホリはつまらないものなのでしょうか。ただ、毎日同じことを繰り返すだけで、日本にいるのと変わりないのでしょうか。単に日本での生活という「日常」から海外での生活という「日常」に移動しただけなのでしょうか。


私は、留学やワーホリの大きなポイントは、その「移動」にあると思います。日本にいた時は「日常」から「非日常」への移動だと思っていたのが実際は「日常」から「日常」への移動だったとしても、「移動」することに大きな意味があるのです。




留学やワーホリに来る時は、日本でのそれまでの日常の生活をいったん止めて日本を発ちます。たとえ数週間という短い期間でも、連続した日本での生活から離れなければなりません。そして留学先という、それまでとは切断された新しい空間にやってきます。



そして、その新しい空間にあるものは、今まで日本にあったものと全て違います。家も、学校も、友達も、家族も、何もかも違う空間に身を置くことになります。そこから留学生活がスタートします。




言い換えれば、それは、舞台を変えるということです。舞台を変えることで、周りの役者も変わります。自分にとっては、監督も脚本も新しくなります。



ただ、周りの役者は既にそれぞれの役を割り振られ、舞台が進んでいます。そこに新しい役者として入っていくのです。その時単に一役者として舞台に身を置くだけなら、「その他大勢」の役しか回ってきません。その他大勢の役者として、誰かが書いた脚本に沿って、監督の言うとおりに動いていれば、リスクは少ないですが、舞台の上であまりドラマチックな出来事は起こりません。




ではどうすればいいのか。どうすれば、留学という日常の中で、日本と違う何かと出会い、日本にいる時と違う経験をし、日本では出会えなかったであろう人と出会い、ドラマチックでエキサイティングなことに巡り合えるのか。



それは、自分自身が主人公である舞台の脚本を自分自身で書くことです。誰かが書いた脚本に沿ってその他大勢を演じるのではなく、自分が自分のための脚本を書き、それを自ら進んで演じるのです。



つまり、明日というドラマの脚本を今日自分で書き、それに沿って明日一日を生きてみるということです。そこでは自分が主役です。どんなドラマにするのか、どんな主人公にするのかは脚本家である自分が決めればいいのです。




現実には、予想してなかった事態も起こるでしょうし、他人から見ればエキサイティングな出来事ばかりが起こるわけではありません。しかし、単に受身で舞台の一脇役として過ごすのではなく、自分が主人公の脚本を書くという意識でいれば、留学という日常のほんの些細な出来事も、エキサイティングでドラマチックな出来事に変えることができるのだと思います。




自分という主人公をどう動かし、どんな感動を与え、どのような状況に導くか。細かい部分まで脚本家である自分、主人公である自分にかかってきます。




「今までと連続した日常」である日本にいたままで、突然脚本を変えるのは難しいです。しかし、日本での生活という「日常」から海外での生活という「日常」に移動して、自分が身を置く舞台を変えることで、自分が脚本家になり、主役になるチャンスが生まれるのです。そのチャンスを生かして、日本で自分が想像していたような脚本を書き、主人公としてそれを演じる。演じるというのはそれを生きるといってもいいかもしれません。



そうすることによって、留学という日常をドラマに変えることができるのだと思います。


ひらめき
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2005年07月29日

所属するということ(2)

先日、所属するということ(1)で、「今まで所属していたものを捨てる不安」を自分の中でどう処理するかということについて書きました。


日本を離れて留学する時、今まで自分が所属していたものを捨てるという視点から「漠然とした不安」を考えてみるのもいいのではないかと思ったからです。



でも反対に、所属していたいろんなものを捨てて留学に来た後、実はどうしても捨てられなかったものに向き合うことがあります。



留学する前は、外国に行って現地の人々と同じように生活している自分を想像します。同じように話し、同じように考え、同じように行動し、同じように食べ、同じように遊び、同じように働く。


確かに、それは可能です。海外で長く暮らしている人の中には、見かけこそ違っても現地の人々と同じように暮らしている日本人も数多くいます。しかし、数ヶ月〜2、3年の滞在ではなかなかそういうふうにはいきません。


海外で暮らし始めた最初の頃よく聞かれるのが「君はどこから来たのか」ということです。外見がアジア人だと「他の国からやって来た」ことを前提として質問されます。特に現地の言葉があまり使えない場合は、初対面の人には必ず聞かれます。そして「日本から来た日本人だ」と答えると、それ以降は「日本から来てその国で暮らしている日本人」と相手はとらえます。


話題を振るほうは気を使っているのかもしれませんが、「日本ではどうだ?」とか「これは日本的なものだろう」とか「メイドインジャパンは・・・」とかいう話題を何度もされていると、やはり自分はこの国では「日本から来た日本人」として扱われているんだということを感じます。


また、「日本人としての意見や感想」を求められることも多いです。就いている仕事や環境にもよると思いますが、「日本ではどうなんだ」「日本人はこういう時はどうするんだ」などと聞かれることもあります。


そこには差別の感情はないと思います。ですが、所属という観点から言うと、「この人は日本から来た日本人だ」つまり、「日本という国、文化、民族、バックグラウンドに所属している人だ」と認識されているということです。


日本を出発する前に想像していた、現地の人の中に溶け込んで同じように生活する、つまり同じ視点でものを見るはるか以前に、現地の人に「君は所属が違う」と言われているように感じます。


そして、それは感じるだけではなく、実際に「日本という国、文化、民族、バックグラウンドに所属している」のです。留学生やワーホリ、数年の就労で滞在している人は特にそうです。「日本という国、文化、民族、バックグラウンドに所属」しながら違う国に滞在しているのです。つまり、「日本という国、文化、民族、バックグラウンド」の所属から抜け出せないのです。どこにいても「日本人としての自分」「日本から来た人間としての自分」と一緒に生きていかなければなりません。


それを否定しているのでもなければ、全ての人がそうだと言っているのでもありません。いいとか悪いとかいう基準でもありません。そんな単純な場合だけではないことも理解しています。


私の知り合いで、見た目は日本のおじさんなのに、聞いてみると「生まれは中国だけれど、大学はカナダで卒業後もしばらく働いていた。今はニュージーランドでニュージーランド人の妻と暮らしている。将来はオーストラリアに行く予定だ。パスポートはカナダとニュージーランドを持っている。」という人もいます。そんな人には、自分はどの国に所属しているのかということはあまり大きな意味がないのかもしれませんし、周りの人もこの人は「○○の国の人だ」というとらえ方はしません。


しかし、実際に日本から留学などで海外に来てみると、想像以上に自分が「日本から来た日本人だ」ということに気づかされることが多いことに驚きます。日本にいた時は自分が「日本という国、文化、民族、バックグラウンドに所属している」なんていうことは考えたこともなかった人でも、海外で生活を始めるとそれに改めて気がつきます。



これは一つの事実です。ポイントは、これを一つの事実だと捉えた上で、海外で自分はどう暮らしていくのか、周りの人々とどうかかわっていくのかということだと思います。


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2005年06月24日

人の批判

「友達に留学に行くといったら、留学なんか行って大丈夫なの?と言われました。私は私なりに考えて決断したのに。行く前から憂鬱な気分です。」



何かを始めようとした時、批判する人が必ずいます。



「留学なんかして、ほんとに大丈夫なの?」とか「今留学なんかしてもあんまり役に立たないよね。」とか「帰ってきてから職ないよ。」とか「そんなにお金かけるなら、私なら他のことするな。」とか言う人がいます。


そんな言葉の中には、「確かにそうかもしれない」と思うものもあります。逆に言うと「確かにそうかもしれない」と思うことを人は言うのです。そして、そういうことを言われると、腹が立つ反面、ひょっとして自分がやろうとしていることは間違っているのかもしれない、この人の言う通りかもしれない、と思ってしまいます。




自分に向けられた人からの批判には、大雑把に言って二通りあります。



一つは、友達や家族として、本気で考えて言ってくれている言葉。

もう一つは、あこがれや嫉妬からくる批判です。



前者は、自分が今からやろうと思っていることを、客観的な目で見るために必要な言葉です。本人だからこそ見えなくなってしまっていることに気づかせてくれる言葉です。これは、いくら気分が悪くても、正直に受けとめる必要があります。





後者は、したくてもできないことや、何か違ったことをする人に対する嫉妬やうらやみからくる言葉で、全く気にする必要はありません。


そういうことを言う人は、他人が何かをしようとした時、必ず批判します。また、他人が何かをしようとして結局しなかった時も、同じように批判します。つまり、してもしなくてもその人には批判されるのです。


そして、その人の言葉にはポジティブな意味はありません。軽く受け流しておけばいいのです。その人の言葉で傷つくのもばからしいですし、ましてや自分の判断を疑うことはありません。



もしも、どうしてもそんな人の言葉が気になるのなら、自分の判断と行動に自分自身で責任を持って進み、それに対してベストを尽くす。そうすることであらゆる批判を撥ねつけてしまえばいいのです。



万が一、ベストを尽くした自分の行動の結果がうまくいかなかった場合、それを批判する人がいるかもしれない。それはもうしょうがありません。なぜなら自分はベストを尽くしたのだから。ベストを尽くした後の結果に対する批判は、余裕を持って受け止めることです。



ポイントは、どれが本気で考えて言ってくれている言葉で、どれが嫉妬やうらやみからくる言葉なのかを見極めることです。



そのためには、まず自分自身で自分の考えや行動を批判してみることです。できるだけ意地悪な視線で、徹底的に批判してみることです。そして、どの批判を受け入れて、どの批判を受け入れないかを考えます。



その時に受け入れられると考えた批判は、他の人から出た言葉でも受け入れる。逆に、自分で、「今こういう風に自分を批判したけれど、その批判は自分の考えや判断に影響しない」という種類の批判は、誰に言われても気にしないことです。一度そう思ったらもう気にしない。


そうすることで、自分の判断を客観的に見直すこともできますし、その結果自信もつきます。


人の批判は気になります。陰で言われるのも嫌ですし、面と向かって言われても傷つきます。世の中に「誰に何を言われても何とも思わない」などという人はあまりいません。


でも、基本的に、人の批判はあまり気にしないことです。自分に自信を持つことです。そして、この人は本当に自分のために言ってくれているという言葉を拾って自分の糧にする。それが行動を起こす時に大切なことではないでしょうか。




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2005年06月11日

所属するということ(1)

「留学に行きたいのです。でも、会社を辞める踏ん切りがつきません。他の人は、どうやって踏ん切りをつけたのでしょうか。」



人は必ず何かに所属して生きています。それは、会社であったり、学校であったり、家族であったり、スポーツクラブであったり、趣味の会であったり、国であったり、地域であったり、いろいろですが、現代社会で普通に生活している限り、全く何にも所属せず生きている人はいないでしょう。



所属している間は、その存在がうっとうしかったり、何かをしようとする時に邪魔に感じたりします。



でも、一度その所属先から抜け出そうとすると、その存在の大きさに気がつきます。



例えば、会社にいる時は、会社のやり方が気に入らなかったり、会社自体の存続が危ぶまれたり、何もしてくれない会社に憤りを感じたりします。しかし、会社を辞めて留学しようなどと考え始めると、なかなかやめる決心がつきません。それは、会社員としてその会社に所属している自分と辞めた後の自分を比較して、会社に所属している方が快適なことに気がつくからです。今まで会社に守られていた自分に気がつくといってもいいでしょう。



そして、会社を辞めた後、もう元の状態に戻ることはできないと認識した時、不安とともに開放感のようなものも感じます。


「もうあの会社に守ってもらうこともできないけど、会社に縛られることもない。」


そして、書類上も精神的にも所属先から切り離されます。



今まで所属していたものから抜ける、つまり所属しないことを選ぶということは、非常に不安で勇気がいることです。逆に言うと、どこかに所属しているということは、それだけで安心できるし快適だということです。



特に、会社を辞めて留学するなどという、今まで所属していたところから抜けた後、一人で行動することを選ぶとなると、その不安も大きいですしそのぶん勇気もいります。



でも、会社などというところは一生所属できるところではありません。いつかそこから離れなければならないのです。いつまでも守ってはくれないのです。



今まで所属していた期間が長ければ長いほど、そこから離れるのは難しいですしエネルギーがいります。でも、一旦所属から抜けてしまえば、思ってた程不安でも困難でもありません。




私も、日本で8年間ほどサラリーマンをやった後、ニュージーランドで自分でビジネスを始めましたが、どこかの会社に所属していた時より、何と言っていいか、気が楽というか、自由というか、おもしろいです。不安を感じることもありますが、それ以上の何かがあります。



同じように、会社を辞めて留学というのは、始める前は不安です。でも、守られていた環境から抜け出して、自分で自分の行動に責任を持って選び、進んでいく。失敗や困難があれば自分で考えてまた選び進んでいく。



こんなに自由でおもしろいことはなかなかないと思います。それは、どこかの会社に所属していると得られないものかもしれません。



会社を辞める時、経済的なことや将来のことを考えるのは当然ですが、「今まで所属していたものを捨てる不安」を自分の中でどう処理するか、というのが意外と忘れがちであるけれども重要な視点なのではないかと思います。




ぴかぴか(新しい)
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晴れ


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実は、会社を辞めて留学する時、会社という所属先からは抜けることになりますが、日本という国、日本人であること、日本の習慣や文化の中に所属していたことなどからは抜けることができない、ということを比較しながら同時に書こうと思ったのですが、あまりにもテーマが大きくなるので、また今度書くことにします。






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2005年06月04日

本当の自分

「日本にいたときは、活発でよくしゃべる人だと思われていました。実際にそうでした。でも、留学に来てから、シャイだと思われています。本当の自分はこんなんじゃないのに、どうしたらわかってもらえるでしょうか。」



「留学を始めてから、なんか自分が変わったと思います。日本にいたときより明るくなりました。日本に帰ってもこのままの自分でいたいと思っていますが、またもとの本当の自分に戻るかもしれないと不安です。どうすればいいのでしょうか。」



留学してから自分が変わったという人はたくさんいます。



では、「本当の自分」とはどんな自分なのでしょうか。本当の自分って、いったい何なんでしょうか。本当の自分とは、自分で思っている「私はこんな人間だ」という自分とイコールなのでしょうか。本当に自分が思っている自分自身が「本当の自分」なのでしょうか。



実は、本当の自分はこんな人間だと思っている自分像は、本当の自分ではないかもしれない。一度、そう考えてみるのもいいのではないかと思います。それによって、自分が変わるかもしれない。



つまり、私はこんな人間だという思い込み。それが自分を作っているのかもしれないということです。



例えば、「私は、消極的な人間だ。」と思っている人がいたとします。その人は、大きな舞台で何か積極的な発言なり行動なりをすべき時に「私は消極的な人間だから、とてもそんなことはできない」と無意識に考えます。そして、できない。


私はこんな人間だ。だからこんなことはできるけれど、こんなことはできない。やろうともしない。なぜなら、私はこんなことはできない人間だからだ。



一種の自己暗示です。



「いや、違います。自己暗示ではありません。事実、私の周りのほとんどの人が、私のことを消極的な人間だと思っています。そして、私自身もそう思っています。だから、私は事実消極的な人間なのです。」という人もいるかもしれません。




確かにそれは一つの事実です。周りの人が自分のことを消極的だと思っている。私も自分のことを消極的だと思っている。それは事実です。でも、だからといって、その人が本当に消極的な人かどうか、それは事実かどうかわかりません。



周りの人はその人が消極的な態度をとっているから消極的だと判断するだけで、その人の内面をのぞいているわけではありません。単に表に表れている現象で判断しているに過ぎないのです。



そして、その人も、周りが自分のことを消極的だと思うから、いまさらみんなを驚かすような積極的な行動はできない、と思ってしまいます。そして周りの評価を裏切らないように益々消極的になって行きます。


そして、本当の自分は消極的だと思い込む。本当は、本当の自分など自分でもわかっていないのに、簡単にそう思い込んでしまう。




「それでいいじゃあないか。私は自分を変えようなんて思っていない。」という人はそれでいいです。



でも、何とか今の自分を変えたい、変わった自分をキープしていたい、本当の自分がわからない、あるいは、現状を変えるためにまず自分を変えたい、などという人は、今現在自分が持っている「本当の自分像」を疑ってかかるのも一つの方法だと思います。



本当に自分が思っている「本当の自分」が本当の自分なのだろうか。違うのではないか。単に長年思い込んできただけではないか。周りの人の評価にあわせてきただけではないか。ひょっとしたら違った自分が自分の中にまだまだいるのではないか。と考えてみます。



そして、私はひょっとしたらこういう違う人間なのではないか、と考えてみます。「私は、実は積極的な人間なのではないか。」「本当は、明るい人間なのではないか。」「ひょっとしたら、思い切りのいい人間なのかもしれない。」などと、自分がこうありたいという人間像を「本当の自分」として思い浮かべてみます。



今まで、「自分は消極的な人間だ」と思い込んでいたから消極的だったのであれば、「実は積極的な人間だ」と思い込めば積極的な人間になる可能性もあるのです。




その時に、留学など大きな環境の変化があれば、比較的簡単に自分を変えることができます。最初に出てきた、「留学してから日本にいたときより明るくなった」というのは、周囲の自分に対する期待や評価が変わることで、それまで思い込んでいた「本当の自分」像を自分から変える必要が生まれ、結果的に自分が変わったということだろうと思います。そして、「ひょっとしたら自分は明るいのかもしれない。」と思うようになる。そして、ますます明るく振舞うようになり、「本当の自分」が変わっていくのです。



そう考えると、「本当の自分」は、今、自分が思っている自分一つではなく、他にもいろいろな可能性があるといえます。そしてそれは、環境や自分の考え方で変えることができる。



よく、「人は、こうなりたいと強く思えば、そうなることができる。」などと言われますが、まさにその通りです。



自分で作り上げた「本当の自分」しか自分の可能性はないと思い込んだりせず、それを疑ってかかることで、今までできなかったことができたり、得られなかった評価を得たりすることができるのではないかと思います。




「本当の自分」それは、自分自身の中にあるほんの小さな自分の一部に過ぎないのではないでしょうか。



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2005年05月28日

便利な日本

「ニュージーランドの高校に留学して3ヶ月。退屈で退屈で仕方ありません。田舎に住んでいるせいもあって、コンビにもないし、週末は店が閉まっているし、車に乗れないのでどこにもいけないし。携帯も日本語打てないし、テレビも面白くありません。何して過ごせばいいのでしょうか」



「日本では、毎晩のように飲み会があったし、週末は遊ぶところもたくさんありました。ワーホリで来て、あまりの不便さにビックリしてしまいました。こんな不便なところでよくみんな生活しているなと思います。」



日本の、特に都会で暮らしていた者にとって、海外での生活がとても不便に感じることがあります。


「日本では、歩いて5分のところにコンビニが24時間開いていて、ATMもあるし、何でも買えるし、いろんな支払いもできる。当たり前のように使っていたけれど、いざ海外に来て、それがなくなってみて初めてそのありがたさがわかった。」

という人も多いと思います。



確かに日本は便利です。特にニュージーランドと比べると、はるかに便利です。夜遅くまで店は開いているし、週末に出かけるところもたくさんあるし、交通機関は発達しているし、おいしいものが安く食べられるし、お金さえあれば欲しいものはほとんど手に入るし、時間をつぶす場所やモノがたくさんあります。

宅配便は指定通りの時間に配達してくれるし、電化製品が故障したらすぐに直しに来てくれるし、3分おきに地下鉄はどんどんやってきます。



国によっては日本と同じくらい便利なところもたくさんあるでしょうが、他の国で暮らしていても、どこか日本より不便なところを感じることもあると思います。



その不便さゆえにその国が住みづらいと感じることもあります。それが強くなると、その不便さに耐えられなくなって日本に帰りたいと思うこともあるでしょう。



でも、「便利」というのはそれほど大事なことなのでしょうか。「便利=いいこと」で「不便=悪いこと」なのでしょうか。



「便利さ」を求める気持ちはわかります。もっと便利に、と思うのは当然ですし、そこに技術の進歩があり、サービスの向上があり、合理化や発達があります。



でも、多くの人が便利さを求める場所でずっと暮らしていくとなると、自分もそこで働いて食べていかなければなりません。そして、その自分の仕事の結果に対しても「便利さ」を要求されるのです。


例えば、コンビにで働くのであれば24時間開いていることを要求されるし、宅配便の仕事をするのであれば時間通りに配達することを求められるし、地下鉄の運転手であれば、3分おきにきっちり駅に到着することを求められるのです。


コンビニで働きながら、夜のシフトは絶対に入れないということはできないです。



つまり、便利さを追求する社会の中で、その便利さを享受するためには与える人が必要で、与える人は自分自身でもあるということです。全てに便利さを求めていくのであれば、その中で働いている自分自身も誰かに対して便利さを供給しなければならないのです。そして、もっと便利に、と更なる便利さを求めていくということは、自分の仕事の結果にもそれがさらに求められるということです。



その便利さを求め続けることが何をもたらすかというと、享受できる便利さが増えるだけではなく、より便利なものを誰かに与えるための仕事が増え続けるということです。



ある人はそれをビジネスチャンスというでしょう。でも、「便利さの追求」をビジネスチャンスにして自分の利益に還元できる人はそう多くありません。たいていの人は、仕事の量が増えたり、仕事に要求されることが多くなったりします。



そうやって、みんなで便利さを追い求めていくことで、技術の進歩があり、サービスの向上があり、合理化や発達がある反面、便利さを生み出す側への負担が増えていくのです。便利さを生み出す側は、ほぼイコール便利さを享受する側でもあります。つまり、自分自身なのです。



便利がいいなと思う。便利さを自分以外のものに要求する。結果、自分自身も誰かから便利さを要求される。という流れが出来上がっていくのです。そして、多くの人が便利さを要求するのをやめない限り、その流れは止まらないのです。



日本は今そういう流れの中にいるように思います。


それに対して、ニュージーランドは、便利さを日本ほど追求しないように感じます。その結果、日本より不便を感じるのですが、自分自身の仕事の結果に対しても便利さを次々と求められることはありません。そして、アフターファイブや週末は自分の時間や家族との時間に充てる、という選択が可能になります。



とはいえ、ニュージーランドの雑誌などを読んでいると、「Good Life」を手に入れるために収入を増やさなければならない。収入を増やすためにもっと働かなければならない、という図式がニュージーランドにも広がりつつあるようです。でも、まだそれは始まったばかりで、そのライフスタイルの変化に警鐘を鳴らす人も多く、今後その流れが変わる可能性もあります。ニュージーランドはまだその段階です。



私は、ニュージーランドで暮らし始めた当時から、便利な日本とそうでないニュージーランド、どちらがいいのだろう。と考えていました。暮らしているうちに、どちらがいいかということより、なぜ違うのかを考えるようになりました。



そして、今回この記事を書くきっかけになったのは、4月の末に起こったJR西日本の尼崎脱線事故です。



最初の報道では、運転手に非があるように報じられました。次にJR西日本という会社の問題だといわれました。でも、私は、JR西日本が「安全よりもダイア通りの正確な運行を優先」させたバックグラウンドには、われわれお客の要求があったのではないかと思うのです。より早く正確な鉄道の運行。それを優先させる鉄道会社にしてしまった原因の一部は、それを要求し続けたわれわれお客にあるのではないか、ということです。



便利さの追求とそれに応えようとする会社。そして、会社から更なる仕事を要求される社員。そしてさらにまた便利さを追求するという流れが限界に来ていたのではないか。



これを機会にもう一度、「便利さの追求」自体をわれわれ一人ひとりが考え直してみる必要があるのではないか、と思ったのです。




留学をして海外で暮らすと、その国と日本との違いに気がつきます。特に、便利であるとか不便であるとかいう身の周りのことは直接自分の生活に関わってくることだけあって、その違いを強く感じます。




その時に、「ああ、日本は便利だ。いいなー。」と思うだけではなく、なぜそんなに便利なのか。なぜ便利でなければならないのか。便利さと引き換えに何を支払っているのだろうか。今住んでいる便利でない国はなぜそうなのか。そこに暮らす人々が便利さを求めていないのではないのか。それは何故か。便利さの代わりに何か別のものを享受しているのではないか。じゃあ私はこれから便利さを求め続けるのか。そもそも便利さって何なんだ。など、いろいろ考えてみてもいいのではないでしょうか。




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2005年05月08日

孤独について

「なんか、やばいです。日本に帰りたくて帰りたくてしょうがありません。


とても一人ぼっち


です。どうしたらいいのでしょう。」



「なかなか友達ができません。外国で友達をたくさん作ることを目標に留学に来たのに、私の性格もあるのでしょうが、どうしてもうまく友達を作れません。そりゃ、一緒にカフェに行くくらいの人はいます。でも、


なんか孤独


なんです。うまく説明できませんが、「入っていってない」んです。悲しくなってきます。」





留学に来て、いきなり孤独を感じる人。しばらくして環境に慣れたころに、だんだん孤独になる人。孤独だから留学に来て、やっぱり孤独な人。一人で寂しくて寂しくてしょうがない人。結構いると思います。



学校から家に帰り、ホームステイファミリーやフラットメイトと楽しげに話をし、それから自分の部屋に入ってほっとした時、たまに


どーんと孤独を

感じる




ことがあります。特に、友達との会話がちょっとかみ合わなかった時など、


「あれっ。なんか一人だ。」



と思います。そして、周りの人たちがやけに楽しそうで、まとまっているように感じます。



一人、自分の部屋で

「遠くに来てしまったなぁ」

と感じることもあります。「明日はがんばろう」と思って次の日学校へ行き、友達と話をしていると、何故か余計に孤独を感じたりします。



どちらかというと、

一人でいるときよりも、大勢の人に囲まれている時の方が孤独を感じることが多いかも知れません。




日本ではその孤独感を紛らわせてくれるものがたくさんありますが、いざ海外に出てみると、特に田舎の町で暮らしていたりすると、一度芽生えた孤独がどんどん大きくなってきます。

「ひょっとしてこれはホームシックか。」

と思ったり、

「日本に帰りたい。」

と思ったりします。




では、どうすればいいのか。



まず、「私」対「他」という考え方を変えてみる。大勢の他人なんていう「人」はいない。大勢の他人もその一人ひとりは「私」の集まりである。つまり「私」と同じ「一人の私」であると考えてみる。


そして、みな多かれ少なかれ孤独を感じている。隣で楽しそうに友達と笑って会話をしている人も、実は孤独感にさいなまれてどうしようもないのかもしれない、と思ってみる。それは、自分が孤独であることを人に気づかれまいとして楽しそうに振舞っているのと同じである。


もし、友達ができずに孤独を感じているのなら、友達が多い人がいい人で、友達が少ない人が良くない人だという固定概念を捨てる。全くそんなことはない。友達の数でその人が決まるのではない。友達が少ない=悪いこと。私は友達が少ない=私は悪い。そして孤独になって落ち込んでいく、という孤独スパイラルから抜け出すためにも、友達の数を気にするのはやめよう。友達はいればラッキーくらいに思っておこう。



自分が考えているほど人は自分のことを考えていないという事実を知ろう。それは、他人の病気のことよりも自分の今日の髪型がしっくりいかないことの方が気になる「私」と同じとである。いい悪いではなくそれが事実である。人は自分をわざと置き去りにしているのではない。それほど他人のことを考えている暇はない。つまり、他人が自分を孤独にしているのではなく、自分が自分を孤独にしているのです。



できれば孤独を楽しもう。一人ぼっちで寂しくて孤独を感じている時に、それを楽しむことは難しいかもしれないけれど、一人だからこそできること、一人の時間にしかできないことを見つけて、それを楽しむことで孤独を楽しむきっかけにしてみよう。



自分のことを見ている人は必ずいる。もし今いなければ、将来必ず現れる、と信じてみよう。



アクションを起こす気力もないのなら、孤独感がなくなるまで、今のままで待ってみよう。今解決しないことでも、時間が経てば自然に解決していることも意外と多い。




そして、私は孤独、好きです。孤独な人も好きです。こんな「孤独好き」もいることを憶えておこう。




日本を離れて一人でいると、誰でも一度は孤独を感じることがあります。それは決して悪いことではなく、むしろ、いろんな現実を見つめなおし、自分自身のことを考え、人のことを考え、自分の国のことを考え、将来のことを考え、過去を振り返り、家族のことを考え、自分を守ってくれている人のことを思い出し、自分が守らなければいけないもののことを考え、自分の夢を明らかにし、自分自身にいろんなことを問い直す、そんな貴重な時間なのかもしれません。




なるほど、という方。
わからない、という方。
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2005年04月30日

選択

「ニュージーランドでボートビルディングの資格と取ろうと思い、まず、語学学校に通いました。その資格を取ろうと思っているのは学校に私一人でした。

友達は、

「そんなにがんばらなくてもいいじゃん。一緒に遊ぼう。」

といつも私を誘い、結局私は、

その資格を取るコースに入るだけの英語力がつかないまま帰国することになりました。

その友達は今でも学校にいます。

その友達さえいなければ、今頃あこがれの資格を取っている

かと思うと、

彼のことが憎くてたまりません。



「ワーホリでバックパッカーでエクスチェンジしていました。

私は将来日本でバックパッカーズホステルをやりたい


と思っています。そこでそこのオーナーに、

「ずっと働きたいのでワークビザをサポートして欲しい」

と言うと二つ返事でOKしてくれました。書類を揃え移民局に提出しましたが、

結局却下

されてしまいました。どうもオーナーが就労ビザのことをあまりわかってなかったようです。わからないなら安請け合いしないでほしい。私の人生計画が大きく崩れました。

この責任はどう取ってくれるのでしょうか。




大きな目標を持ってそれに向かって進んでいる時に、いろんなことが起こります。足を引っ張られるようなこと、行く手をふさがれるようなこと。その目標が大きければ大きいほど「抵抗」も大きく感じます。



そしてその「抵抗」によって、自分の当初の目標が変わったり、達成できなかったり、うまく進まなかったりします。そんな時、


うまく行かないのは全てその「抵抗」のせいだ、

その「抵抗」がなかったら今頃何もかもうまくいっていたのに、



と思います。そう思う気持ちはわかります。私も同じ立場ならそう思うかもしれません。



では、気持ちではなく、事実はどうでしょう。本当に友達やオーナーのせいで、うまくいかなかったのでしょうか。



私は、


何かうまくいかないことが起こった時、とりあえずその原因を自分の過去に求める


ように努力しています。言い換えれば、


今現在自分がここでこうしているのは、全て自分が選んできたその結果だ、


と思うようにしています。



事実、誰かに脅されて何かをしたとか、誰かに無理やり引っ張られてどこかに連れて行かれたとかいう経験は、ほとんどありません。つまり、自分の意志でここまで来たということです。



過去には、信用していた人間に大切な約束を反故にされたこともあります。相手ははじめから約束など守る気がなかった人でした。でも、そこには相手を信用しようと決めた自分がいたのです。はっきり言うと、無知で経験不足の私がいたのです。なにも、脅されて無理やり約束をさせられたわけではなく、自分で決めたのです。



人は常に瞬間瞬間を、何らかの選択をしながら生きているといえます。

イメージとしては、自分の前方に右、左、真ん中などと2次元的に選ぶ道があるだけではなく、自分自身は広大な空間に存在していて、次の一歩は、例えば、右斜め上とか左斜め下とか好きなところに踏み出せる、3次元の選択肢があるイメージです。つまり、


無限の選択肢があって、次どこに向かうのかを瞬間瞬間に自分自身で決めて生きている

感覚です。



例えば、私は今このブログを書き続けてもいいし、書くのをやめてネットサーフィンを始めてもいい。記事を書き上げてからパンを食べてもいいし、友達に電話してもいい。その食べるパンは、今家にあるものでもいいし、買ってきてもいい。電話する相手は、A君でもいいし、Bさんでもいい。相手が電話に出なければ、切ってもいいし伝言を残してもいい。なんとなくテレビを見てもいいし、散歩に出かけてもいい。散歩は、家を出て右に行ってもいいし左に行ってもいい。



仕事場でも学校でもそうです。上司に言われたことを期限までにきっちりやってもいいし、極端に言えばやらなくてもいい。できないと言ってもいいし、自分が受けた仕事を後輩に任してもいい。いつもどおりに学校に行ってもいいし、行かなくてもいい。わからないことを先生に質問してもいいし、しなくてもいい。




非常に不安定な空間、言い換えれば非常に自由な空間にいて、次の瞬間どうするかを常に自分で決めて生きているのです。



極端過ぎると言われるかもしれませんが、たとえ頭の中だけでも、一度こうやって自由に自分の選択肢を広げてみる。

次の瞬間の自分の行動は、無限の選択肢の中から選ぶことができるというイメージを持ってみる。



そして、過去になぜ、自分はその瞬間たった一つのその選択肢を選んで来たのかを考えてみます。



なぜ、上司に言われた仕事は期限までにきっちり仕上げたのか。なぜ、毎日朝起きて学校に行ったのか。なぜ、先生に質問しなかったのか。なぜ友達が行こうといったところに一緒に行ったのか。なぜ、ワークビザを申請したのか。なぜ親の言ったとおりにしたのか。なぜ親の言ったとおりにしなかったのか。なぜ留学に来たのか。なぜ留学に行かなかったのか。



よく考えると、ある瞬間、「そうしよう」と、自分自身で決めた方向に一歩を踏み出した自分がいたことに気がつきます。



過去の次は今と次の瞬間を考えてみます。なぜ今私はここでこうしているのか。次の瞬間、どこに一歩を踏み出すのか。右か、左か、右斜め上か。そしてその次の瞬間は。左か上か下か。それはなぜか。



今現在の自分の場所を変えることができるのは、自分だけです。なぜなら、自分だけが次の一歩をどこに踏み出すのかを決めることができるからです。



次どこに向かうのかを最後の瞬間に決めるのは自分です。



そうやって生きてきたのですし、そうやって生きていくのです。



いろんな理由は後からつけることができます。周りの人が自分をそうさせたと言うのは簡単です。あの人が言ったからこうしたのだ。あの人が何もしてくれなかったからこうなったのだ。でも、実際によく考えてみると、全ての瞬間、次の一歩をどこに踏み出すのか、自分で決めてきたのです。



私は、今あまりよくない状態の人に、結局自分が悪いのだといっているのではありません。「良い」「悪い」という基準を持ち込むのではなく、単に、今現在自分がここに「在る」のは、今まで自分自身で選んで来た過程の一つの結果だ、ということです。その結果が、良いのか悪いのか、楽しいのか悲しいのか、それはまた別の問題です。


ただ、今現在自分がここに「在る」為に、数え切れないくらいの選択があり、その選択は他でもない自分自身で決めてきたものだということです。



今自分がここにいて、こんなことをしているのは、自分が選んで来た結果で、次の瞬間どこに行くのかは、実は無限の選択肢の中から選ぶことができるのだ、とたまには考えてみてもいいのではないでしょうか。



ひらめき
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2005年04月16日

がんばる

「留学に来る時は、


夢と希望


を持ってきました。でも、今はなんとなくやる気もなくなって、


まあいいか、


という感じです。そんな自分が嫌になる時がありますし、このまま行けばどうなるのだろうと不安に思うこともあります。」




「同じ留学生の友達と一緒に遊んで帰っても、次の日、友達はちゃんと宿題をやってきています。どうして?いつの間に?と思いますが、私にはできません。


なんとなくだらだら


と時間を過ごしてしまいます。そうこうしているうちに、私だけ人から遅れをとっているように思います。何かが違うように思います。どうすればいいのでしょうか?」



よく聞く話です。ほとんどの留学生が一度くらいはそんな気持ちになるのではないでしょうか。




ワーキングホリデーで海外に来ても、最初はいろんなことに挑戦しようといろいろがんばってみますが、気がつけば、なんとものんびりした時間ばかりを過ごしていることに気がつきます。


海外の大学に通い始めても、言葉の壁や生活の違いについていけず、日本を出る時に持っていたわずかな自信もいつの間にか失って、ただただ目の前のことに追われています。


高校留学をしても、いつも日本人の友達と一緒にいて、「日本より窮屈で不便」な生活が嫌になってきます。








結論から言えば、


「がんばるしかない」



のです。でもそれではあまりにも簡単すぎる。では、どうすれば「がんばれる」のか?どうすれば「がんばる」気が起こるのか?という問題です。


ポイントはふたつあると思います。


「時間」と「目標」


です。


人は誰でも今日と同じ明日が来ると思っています。今日学校に行って帰ってきたように、明日も学校に行って帰ってくる。明日の同じ時間は今日と同じところで同じようなことをしている、と思っている。確かにそうかもしれない。経験則で行けばほぼ間違いなくそうです。昨日から今日への時間の流れと今日から明日への時間の流れが、大きく違うことは予想できない。


でも、


ひょっとしたら

違うかもしれない。



昨日から今日が同じように流れていても、今日から明日が同じように流れるとは決まっていません。誰も保障はしてくれないし、誰もわからないのです。ひょっとしたら、まったく違う明日が来る可能性も、ゼロではないのです。交通事故にあうかもしれないし、日本に帰らなければならない出来事が起こるかもしれない。病気になるかもしれないし、天災が起こるかもしれない。突然発狂するかもしれないし、記憶をなくしてしまうかもしれない。先週買ったロトが大当たりするかもしれないし、犯罪に巻き込まれるかもしれない。


今日の新聞を少し読んで見れば、「そんなことあるわけない」とは誰も言えないのです。






また、自分の過去を振り返ると、ずっと同じように流れてきたと思っている時間も、どこかで、


その流れを

変えた瞬間



があることに気がつきます。入学や卒業など予定通りの流れの変化もそうですが、

「この人に会った瞬間から人生が変わった」とか、

「この瞬間に留学を考え始めた」とか、

「この日から、仕事を辞める準備を始めた」とか

いう「時」があります。その「時」を挟んで「前日」と「翌日」では流れが変わっています。昨日と同じ明日ではなくなっています。現在留学をしている人などは、そんな瞬間がきっとあったのだと思います。



こう考えると、また流れが変わる瞬間が来るかもしれない。それが今日かもしれないと思えます。



同じようにずっと流れ続けてきて、同じようにずっと流れ続けていくと思っていた時間の流れが変わる。その「時」は必ず来るということです。つまり、今日と同じ明日が来るとは限らないということです。明日や次の瞬間は、実は見えていないのです。


それは言い換えれば、


今日だけが確実な時間、


今だけが自分が持っている

唯一の時間だ



ということです。

そして、今日という唯一確実な一日をどう生きるかを考えることが大切だということです。



では、その唯一確実な時間である今、何をすればいいのか。今だけを見つめていればいいのか。今日がよければそれでいいのか、それでは刹那主義ではないのか、ということです。


足元が大切だという。足元をちゃんと見ろという。でも足元だけを見ていたら、次の足をどこに踏み出すべきかがわからない。足元以外にどこか見る必要があると思う。それはどこか?と考えた時、出てくるのが


「目標」


です。

例えば、高校留学の先に、海外大学留学という目標があれば、今日やることが少しだけ違ってきます。今日やるべきことがちょっとだけクリアになってきます。ワーキングホリデーの先に、海外移住という目標があれば、今日の仕事の仕方も少し変わってきます。大学留学の先に、海外起業という目標があれば、今何を考えるべきかを考えるようになります。



決して刹那主義ではなく、想像以上に大切な今日という一日をどう生きるかを考え、それを考える上で自分の目標を見つめなおす。

明日が確実なものであるという漠然とした期待を一度脇へ置き、自分の目標に目をやりながら、とりあえず今日だけを精一杯生きてみる。






それが、「がんばる」ということではないでしょうか。





なんとなく時間に流されて「がんばる」気力をなくしている時、あっという間に時間が流れてあせっている時、以前に持っていた夢や希望を見失ってあきらめ始めている時、こんなふうに「がんばって」みてもいいかもしれません。



ひらめき
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2005年04月01日

留学の目的

「「ワーキングホリデーに行こうと思ってる」

と友達に言うと、


「ワーキングホリデーって、

ただのホリデーと

どう違うの?

1年後に

日本に帰ってきて

どうするの?」



と聞かれました。

そう聞かれると、どう違うのか、なぜワーホリなのか、自分でもきっちり説明できません。」



「「海外の大学に留学したい」

と、親に言うと、


「なぜ

日本の大学じゃないんだ?」



と言われました。


そう言われると、なぜ海外の大学なのか、自分でうまく説明できません。」






留学にもいろいろあります。語学留学、ワーキングホリデー、大学(院)やポリテクなどへの正規留学など。勉強する学校やビザの種類によっていろいろな分け方があります。最近では、親子留学、シニア留学などのカテゴリーもあります。


先日、「学ぶ」というコラムで、

学ぶのに遅すぎるということはない、

学ぼうと思ったその時が学ぶ時だ、



と書きました。友達がMBAのコースに通っていようが、自分が英語力をつけたいのなら、年齢に関係なく語学学校に通っても全くかまわない、と言いました。ワーホリで過ごす1年も、目的を持っていろいろなことにチャレンジすれば、日本では学べないこともたくさん学べる、とも書きました。




全くその通りです。




しかし、1年とか2年とか留学した後日本に帰って、「何を学んできたの?」と聞かれた時、なかなかうまく答えられません。確実に日本にいるよりは多くのこと、日本では学べないことを学んで来たのに、「これとこれを学びました。」と言えない。


それは、自分が毎日毎日経験したことであって、考えたことであって、自分自身の変化であって、受けたショックであって、出会った人の影響であって、失敗であって、成功であるのだけれども、

自分自身でしか

わからないもの


で、

ひょっとしたら

自分自身でも

わかっていないこと


で、

そんなことを他人に説明するのは難しい。




じゃあ、留学というのは、そこで学んだことは自分だけがわかっていればそれでいいのか、自分の満足のためだけに留学するのか、というと、そうではない。むしろ、留学時に学んだこと、得たものをいわゆる「キャリア」として他人にもアピールする、ということが留学の大きな目的である場合も多い。



それは、

語学留学をしてTOEIC800点とるとか、

ニュージーランドの高校を卒業するとか、

ワーホリの間にスキーのインストラクターの資格を取るとか、

ポリテクでボートビルディングの資格を取るとか、

マッセイ大学で会計学を修了するとか、

それこそMBAを修了するとか、

目に見えるもの、説明しやすい結果を得るということです。そしてそれは、いろんな理由で日本では取得しにくいもので、いわゆる「キャリア」として評価されるものです。




こうやって考えると、留学の目的には大きく2つあります。一つは、自分自身の成長や変化のため。もう一つは、その成長や変化を社会で生かす、あるいはそれをキャリアとして社会に認めさせる目的です。


内的な目的



外的な目的


と言ってもいいかもしれません。




では、最初の質問、

「ワーキングホリデーって、ただのホリデーとどう違うの?1年後に日本に帰ってきてどうするの?」

ということですけれども、内的な目的(具体的な自分自身の成長や変化に対する目的)を持っていれば、ワーホリはただのホリデーとは違ってきます。また、外的な目的を持っていれば、1年後日本に帰ってからどうするのか他人に説明できると思います。

また、「なぜ日本の大学じゃないんだ?」

という問いにも外的な目的をもって答えられると思います。



じゃあ、

「素朴な質問。ワーホリや留学に目的は必要なの?ただのホリデーでいいじゃん。」

と言われそうです。そうです。確かに留学に目的なんかなくてもいいです。ワーホリはただのホリデーでもOKです。以前にも言いましたが、学ぼうと思ったときが学ぶときであり、人が何をしていようが自分が決めた道を行くべきです。



しかし、


あえて言うとすれば、留学やワーホリに対して自分が使った、時間やお金やエネルギーが、留学が終わった後自分にどう影響を与えるのか。それを留学前にあるいは留学中に、ちょっとだけ考えてみてもいいのではないかと思います。



また、留学が終わっても地球上のどこかで生きていかなければならないのです。せっかく大きな決断をして、限られた時間とお金を使うのだから、そこで、留学が終わった後の社会の中での自分のポジションを考えることも大切だと思います。



1日24時間、1年365日、人は何かをして過ごさなければなりません。何をするのかを決めるのは自分自身です。そして、自分で自由になるお金にも限度があります。


留学しよう、と決めた時、その限られた時間とお金と自分のエネルギーをどう使うのか。そして、自分と社会とはどう関わっていくのか。つまり、留学した自分と社会とのバランスをどこでとるのか。それをほんの少しの時間考えてみても損はないと思います。


それを考えた結果が、その人の留学の目的なのではないでしょうか。




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2005年03月20日

語学留学のススメ

「英語がうまくなる方法を

おしえてください。」





多くの人が聞きたい質問です。



日本語でコミュニケーションをとっていたのを英語に変えるというのは、単に言語を変えるというだけではなく、

考え方や行動、人との関係を変えること

だ思います。



25歳で語学学校に留学している人がいるとします。いろんな国から来ている人が周りにいます。

日本語で話す時、
「こんにちは、T。元気?」

英語で話す時、
「Hi, T. How are you? 」


ですが、例えば明らかに50歳を超えていると思われる日本人がいた場合、

「こんにちは、Tさん。元気ですか?」

同じ50歳+の人と英語で話す時、
「Hi, T. How are you? 」。


日本語で話す場合、相手との関係を考えて微妙に言葉を変えています。

英語は同じ表現です。




日本で初対面の人に「君(きみ)は・・・」といった瞬間に、


自分と相手との関係が

半分は決まってしまいます




「おまえは・・・」「おたくは・・・」「あんたは・・・」「○○さんは・・・」と言った場合と明らかに違います。

日本語では、相手に呼びかける以前に自分と相手との関係を考えなければならない。使う言葉によって二人の関係が違ってくる。逆に言えば、



日本語が

人と人との関係を

規定している



のです。




家族と離れて長く暮れらしていると、


「Do you miss your family?」


と聞かれることがあります。最初「miss」という言葉が少し強く感じて、どうも自分の気持ちを言い表していないように感じました。確かに「miss」なんですけれども、


自分の感情とちょっと違う。


私の日本語の感覚だと、遠くに離れて暮らしている家族を「miss」というのは、自分の中ではそう感じていても、他人にストレートに言う言葉じゃない。それに「miss」をうまく表す日本語が見つからない。「寂しい」でもないし「会いたい」でもないし「寂しくて会いたい」でもない。



でも、英語で、「I miss my faimly.」と何回も言っている間に「miss」という感情になってきた。決して「寂しい」でも「会いたい」でも「寂しくて会いたい」でもなく


「miss」と感じるようになった。



それは単に「miss」という言葉を日本語で置き換えることができたのではなく、「miss」という「言葉」を理解したのでもなく、英語で「miss」を使ってコミュニケーションをとっている間に、「miss」という言葉の後ろにある人々の感情や背景を自分の感覚として感じられるようになった、というのが正しいと思います。あるいは、



「miss」という英語が

私の感情を規定した





と言えるかもしれません。




言葉はコミュニケーションの道具です。日本で

「この英語を日本語に訳しましょう」

とやっているのは、英語という道具の取り扱い説明書を解説しているようなもので、実際に道具を使うところまではいってないと思います。



「英語を英語として理解する。」ということはよく言われますが、それは、


英語という道具を自分の身体に合った道具として使いこなせるように自分の身体を変える


必要があるということです。そのためには、言葉に触れるだけではなく、


そのバックグラウンドを自分の身体で感じることが必要


です。



留学して英語を学ぶということは、取扱説明書をポケットに入れながら実際に道具を使ってみるということです。そして、その道具をうまく使いこなせるように自分自身を変えていくということです。

単に言葉だけを学ぶのなら今は日本でも大丈夫です。英語という道具の取扱説明書は日本にたくさんあります。でも、本当に英語という道具をうまく使いこなせるようになりたいのなら、留学というのは大きな一つの手段だと思います。


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わかりにくいなー、という方。
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2005年03月11日

最初の一歩

「本気で行動を起こそうと思うなら、目の前にあるチャンスをつかもうと思うなら、一歩踏み出してみてもいいのではないでしょうか。

と、

簡単に言いますが、

それは、

一歩を踏み出した

人だから

言えること



私は、その

一歩が踏み出せずに

悩んでいます。


どうすれば頭の中でぐるぐると回っているいろんなことをすっきりさせて、自分のこれからの行動を決めることができるのでしょうか。」





人生で大きな決断をしなければならないことが何回かあります。入学、就職、結婚、転職、そして、留学、海外移住など。


その時、どうやって、何をどう考えて最終的な決断を下すのか。難しいです。私もなかなか決断できない人間です。いろんなことを考えすぎて決断できないことも多いですし、何を考えて決断すればいいのかわからないこともあります。



まず考えるべきことは、

「自分はなぜそれをするのか」

ということです。なぜ就職するのか、なぜ留学するのか。


最初に、「私はそれをしてもいいのだろうか」と考えると、なかなか決断までたどり着けません。いいか悪いかは最初に考えることではありませんし、最初から考えることはできないと思います。



「自分なぜそれをするのか」と自分自身に問うた時、いくつかの答えが出てきますが、その中で

最大の理由を一つだけ

よく考えます。「私がそれをする最大の理由は何か」。最初はいろんな理由がたくさんあって、一つには絞れないかもしれませんが、何日も「なぜ?」と考えているうちに、「これが一番の理由かもしれない」というものが浮き上がってきます。

ひょっとしたらこじつけや思い込みかもしれませんが、それを考える過程が重要です。そして、この過程を経ているかどうかが、決断をして行動を起こした後に影響を与えることもあります。

そして、理由を考える時に、私がいつも注意しているのは、

「それは逃げの理由ではないのか?」

ということです。転職をする。それは今の会社から単に逃げ出したいからではないのか?海外移住をする。今の日本の生活がいやなだけではないのか?


私のように自分に甘い人間にはこれが難しいです。本当は現状から逃げ出したいから次の行動を起こそうと思っているのに、それを「逃げ」だと自分で認めるのが怖い。客観的に自分の心の奥を見つめようとすると、見たくないどろどろしたものが見えたりして、びびってしまいます。


別に理由が「逃げ」であってもかまわないとは思います。でも、行動を起こす最初の理由がネガティブなものであれば、後がきついです。




理由がはっきりすれば、次はその

理由を目標(目的)に転換する


ことです。

「私は語学留学をする。それは英語力がないからだ。」を
「私は語学留学をする。その目標(目的)は英語力をつけることだ。」に転換します。

「私は転職をする。それは今の会社ではスキルが身につかないからだ。」を
「私は転職をする。それは新たなスキルを身につけるためだ。」に転換します。



目標(目的)が決まれば、それを達成するのに

必要な情報をできるだけ集める

ことです。現在は、情報収集の多くはインターネットによるものが多いですが、インターネットの情報には大きく分けて2種類あります。

主観的な情報



客観的な情報

です。

留学の情報を集める時、留学経験者が直接書き込んでいる掲示板やブログなどの情報は主観的な情報です。

経験者の生の情報なのでストレートですし、留学生の視点から書いてあるのでわかりやすく親しみやすいです。どんなことであれ、

未経験者が経験者の話を聞くというのはためになります。

あえて注意点を挙げるとすれば、個人の経験の範囲内での情報が比較的多いということです。自分の時は状況が違うかもしれないし、自分には当てはまらないかも知れない。

もう一つは、学校や企業が発信している客観的な情報です。

規模、金額、プログラム内容、住所などです。厳密に言えば、デコレートされた情報もあるでしょうし、100%客観的ではないかもしれません。しかし、個人の経験の範囲以外の情報が多く得られるという意味では客観的だと言えるでしょう。

この主観的な情報と客観的な情報を見極めて、

バランスよく数多く収集すること

が大事です。




大きな決断をするとき、その理由を考え、そこから目標を導き出し、その目標を達成するための情報を集める。そうすると、情報が集まった時点で、

これからどうすればいいのかが決まっていることが多いです。


あとは、気持ちの整理だけです。気持ちの整理というのは


覚悟を決める


ということです。


何か一つを選ぶということは、他の多くを捨てるということです。

留学を選ぶということは、現在の仕事、住まい、恋人などを捨てることになるかもしれません。その覚悟は必要です。理由、目標、情報収集、決断という過程を経ていれば、おのずと覚悟も固まってきます。



あとは、計画を立てて行動を起こすだけです。






現在、世界各地で留学生活や海外生活を送っている方。また、過去に人生の大きな決断をした方。もっといろんな考え方で、違う方法で、大きな決断をした方も多いと思います。


そんないろんな方々の経験を、聞いてみたいと思っています。




私も決断は苦手だ、という方。
なるほど、という方。
私の場合はちょっと違う、という方。
何を言っているのかわからない、という方。
決断してよかったという方、
ちょっと文章長すぎるよ、という方。

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2005年03月04日

学ぶ

「会社を辞めて半年間語学留学に行きたいのですが、なかなか踏ん切りがつきません。というのも私も20代後半。私より若い人たちが、大学留学だMBAだと言っているのに、いまさら半年間の語学留学というのも情けない気がします。この年齢で半年間の語学留学などして

よいものなのでしょうか?



ワーキングホリデーでニュージーランドに行きたい。英語を身につけ、いろんな経験をしてみたい。でも、

今の生活を捨ててまで

行く価値は

あるのでしょうか?




「現在58歳。子供たちも独立したので、思いきってニュージーランドに留学してみようなどと夢のようなことを考えています。こんなことを言えば娘たちに笑われるかも知れませんが、ようやく自分の時間が持てるようになった今、行きたい思いは募ります。でも、何から始めればよいのやら、また、周囲の人間に何と言われるかと思い

途方にくれています。




似たようなことを考えている人も多いと思います。


人生は一度だけです。そして、29歳の1年間、58歳の1年間は一生に一度だけの1年間です。来年になれば自分も歳をとり、周囲の状況も変化し、現在とは違った一年がやってきます。今、何かをやろうと思うなら、その時が行動を起こす時です。自分の人生、自分が行動を起こす時に、人が何をしているのか、人がどう言うのかを気にし過ぎると、動けません。


確かに、世の中の動きを見ることは大切です。また、周囲の意見に耳を傾けることも必要です。でも、それを自分の行動基準の全てにしてしまうと、間違うことも多いと思います。今の自分に何が必要か、自分は何がしたいのか、何年か後に、今日の自分の決断を振り返った時後悔しないのか。それは、自分自身しか判断できないし、その決断に責任を取れるのは自分自身でしかないのです。


あの時、誰かがこう言ってたからあきらめた。あの時、周囲の人たちは違うことをやっていたので、やりたかったことをしなかった。


後で振り返って、その時の自分の判断を後悔しても、何かを言っていた「誰か」、違うことをしていた「周囲の人たち」は責任を取ってくれません。


今は、高校生が留学するのは一般的になってきました。また、小学生がお母さんといっしょに親子で留学することも珍しくありません。若い時に海外で勉強する機会を得られるというのは幸せです。年齢を重ねてからの留学とは違ったさまざまなことを学ぶことができるかもしれません。

しかし、

学ぶのに

遅すぎるということはない



のです。


学びたいと思った

その時が

学ぶ時



なのです。

学ぶというのは単に学校に通うという意味だけではありません。ワーホリで過ごす1年も、目的を持っていろいろなことにチャレンジすれば、日本では学べないこともたくさん学べます。


60歳で英語を一から勉強する。人がMBAをとっていようが、自分に英語力が必要であるならば語学学校に通う。自分が本当にそうしたいのであれば、それはチャンスです。

情けないとか、
価値がないとか、
夢のようなこととか、


そんなことはありません。



今現在、世界中で留学生活を送っている人たちは、留学前に誰もが一度は考えたと思います。

「本当に留学していいのか?」

でも、みんな留学という選択肢を選んだのです。そして、それぞれの国でみながんばっているのです。




本気で行動を起こそうと思うなら、目の前にあるチャンスをつかもうと思うなら、一歩踏み出してみてもいいのではないでしょうか。






自分も留学している。
留学しようかどうか迷っている。
留学する予定だ。
留学には興味はないが、何かにチャレンジしようと思っている。
という方、

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