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2005年04月30日

選択

「ニュージーランドでボートビルディングの資格と取ろうと思い、まず、語学学校に通いました。その資格を取ろうと思っているのは学校に私一人でした。

友達は、

「そんなにがんばらなくてもいいじゃん。一緒に遊ぼう。」

といつも私を誘い、結局私は、

その資格を取るコースに入るだけの英語力がつかないまま帰国することになりました。

その友達は今でも学校にいます。

その友達さえいなければ、今頃あこがれの資格を取っている

かと思うと、

彼のことが憎くてたまりません。



「ワーホリでバックパッカーでエクスチェンジしていました。

私は将来日本でバックパッカーズホステルをやりたい


と思っています。そこでそこのオーナーに、

「ずっと働きたいのでワークビザをサポートして欲しい」

と言うと二つ返事でOKしてくれました。書類を揃え移民局に提出しましたが、

結局却下

されてしまいました。どうもオーナーが就労ビザのことをあまりわかってなかったようです。わからないなら安請け合いしないでほしい。私の人生計画が大きく崩れました。

この責任はどう取ってくれるのでしょうか。




大きな目標を持ってそれに向かって進んでいる時に、いろんなことが起こります。足を引っ張られるようなこと、行く手をふさがれるようなこと。その目標が大きければ大きいほど「抵抗」も大きく感じます。



そしてその「抵抗」によって、自分の当初の目標が変わったり、達成できなかったり、うまく進まなかったりします。そんな時、


うまく行かないのは全てその「抵抗」のせいだ、

その「抵抗」がなかったら今頃何もかもうまくいっていたのに、



と思います。そう思う気持ちはわかります。私も同じ立場ならそう思うかもしれません。



では、気持ちではなく、事実はどうでしょう。本当に友達やオーナーのせいで、うまくいかなかったのでしょうか。



私は、


何かうまくいかないことが起こった時、とりあえずその原因を自分の過去に求める


ように努力しています。言い換えれば、


今現在自分がここでこうしているのは、全て自分が選んできたその結果だ、


と思うようにしています。



事実、誰かに脅されて何かをしたとか、誰かに無理やり引っ張られてどこかに連れて行かれたとかいう経験は、ほとんどありません。つまり、自分の意志でここまで来たということです。



過去には、信用していた人間に大切な約束を反故にされたこともあります。相手ははじめから約束など守る気がなかった人でした。でも、そこには相手を信用しようと決めた自分がいたのです。はっきり言うと、無知で経験不足の私がいたのです。なにも、脅されて無理やり約束をさせられたわけではなく、自分で決めたのです。



人は常に瞬間瞬間を、何らかの選択をしながら生きているといえます。

イメージとしては、自分の前方に右、左、真ん中などと2次元的に選ぶ道があるだけではなく、自分自身は広大な空間に存在していて、次の一歩は、例えば、右斜め上とか左斜め下とか好きなところに踏み出せる、3次元の選択肢があるイメージです。つまり、


無限の選択肢があって、次どこに向かうのかを瞬間瞬間に自分自身で決めて生きている

感覚です。



例えば、私は今このブログを書き続けてもいいし、書くのをやめてネットサーフィンを始めてもいい。記事を書き上げてからパンを食べてもいいし、友達に電話してもいい。その食べるパンは、今家にあるものでもいいし、買ってきてもいい。電話する相手は、A君でもいいし、Bさんでもいい。相手が電話に出なければ、切ってもいいし伝言を残してもいい。なんとなくテレビを見てもいいし、散歩に出かけてもいい。散歩は、家を出て右に行ってもいいし左に行ってもいい。



仕事場でも学校でもそうです。上司に言われたことを期限までにきっちりやってもいいし、極端に言えばやらなくてもいい。できないと言ってもいいし、自分が受けた仕事を後輩に任してもいい。いつもどおりに学校に行ってもいいし、行かなくてもいい。わからないことを先生に質問してもいいし、しなくてもいい。




非常に不安定な空間、言い換えれば非常に自由な空間にいて、次の瞬間どうするかを常に自分で決めて生きているのです。



極端過ぎると言われるかもしれませんが、たとえ頭の中だけでも、一度こうやって自由に自分の選択肢を広げてみる。

次の瞬間の自分の行動は、無限の選択肢の中から選ぶことができるというイメージを持ってみる。



そして、過去になぜ、自分はその瞬間たった一つのその選択肢を選んで来たのかを考えてみます。



なぜ、上司に言われた仕事は期限までにきっちり仕上げたのか。なぜ、毎日朝起きて学校に行ったのか。なぜ、先生に質問しなかったのか。なぜ友達が行こうといったところに一緒に行ったのか。なぜ、ワークビザを申請したのか。なぜ親の言ったとおりにしたのか。なぜ親の言ったとおりにしなかったのか。なぜ留学に来たのか。なぜ留学に行かなかったのか。



よく考えると、ある瞬間、「そうしよう」と、自分自身で決めた方向に一歩を踏み出した自分がいたことに気がつきます。



過去の次は今と次の瞬間を考えてみます。なぜ今私はここでこうしているのか。次の瞬間、どこに一歩を踏み出すのか。右か、左か、右斜め上か。そしてその次の瞬間は。左か上か下か。それはなぜか。



今現在の自分の場所を変えることができるのは、自分だけです。なぜなら、自分だけが次の一歩をどこに踏み出すのかを決めることができるからです。



次どこに向かうのかを最後の瞬間に決めるのは自分です。



そうやって生きてきたのですし、そうやって生きていくのです。



いろんな理由は後からつけることができます。周りの人が自分をそうさせたと言うのは簡単です。あの人が言ったからこうしたのだ。あの人が何もしてくれなかったからこうなったのだ。でも、実際によく考えてみると、全ての瞬間、次の一歩をどこに踏み出すのか、自分で決めてきたのです。



私は、今あまりよくない状態の人に、結局自分が悪いのだといっているのではありません。「良い」「悪い」という基準を持ち込むのではなく、単に、今現在自分がここに「在る」のは、今まで自分自身で選んで来た過程の一つの結果だ、ということです。その結果が、良いのか悪いのか、楽しいのか悲しいのか、それはまた別の問題です。


ただ、今現在自分がここに「在る」為に、数え切れないくらいの選択があり、その選択は他でもない自分自身で決めてきたものだということです。



今自分がここにいて、こんなことをしているのは、自分が選んで来た結果で、次の瞬間どこに行くのかは、実は無限の選択肢の中から選ぶことができるのだ、とたまには考えてみてもいいのではないでしょうか。



ひらめき
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むかっ(怒り)



(Kickoff-T)
posted by キックオフNZ at 10:10 | Comment(8) | TrackBack(0) | Kickoff-TのHard Talk
この記事へのコメント
はじめまして(と言っても、ずいぶん前から読ませていただいていました)

この「人生は選択の連続」と言うのは、実は哲学者サルトルも同じことを言っていて、初めてその言葉に触れたとき(中学生だったと思いますが)は、雷に打たれたぐらいの衝撃を覚えました
もちろん人生の大きな転機に自己選択を感じるかたも多いでしょうが、今日のブログのすごいところは、日常の些事でさえ自己選択だという部分だと思います
ブログの中の「選択肢は無限」というのも素敵な言葉ですね〜〜

と書いている私も、今日のブログを読んで今まで通り読み過ごすこともできたのですが、大好きなサルトルを思い出して嬉しくて、はじめてコメントすることを選びました
Posted by nitonyan at 2005年05月01日 23:12
ジェイさん(ですよね)、はじめまして。
mikionz と申します。もとNZの住人です。

この記事の最後の方に出てくる自分の選択のお話は、突き詰めれば「自由」に関することではないかと思います。

「選択」、「自由」、それに「自己責任」は、しらがみでいっぱいの日本を離れ、NZのようなところで暮らし、いわば内なる自分と向かい合うことによって、これらの言葉の意味を本当に深められるのではないかと思います。

何をするにも全く自由であること(もちろん法を犯せばその結果に甘んじなければなりませんが)。私としては、こうしてできたいわば空っぽの空間を自分が創る世界で満たしていくのは、時として途方にくれると同時に実に楽しい作業でした。

人と人との本当の絆は、そのような作業をへて生まれるのではないかと思います。
Posted by mikionz at 2005年05月01日 23:34
nitonyan さん、mikionzさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

私も中学生くらいの時にサルトルに出会っていれば、人生変わっていたかもしれないと思います。

今回の記事は、mikionzさんのおっしゃる「自己責任」という言葉をあえて使わずに自己責任について書いてみようと思って書き始めた記事です。


一度、日本を離れるという大きな選択をすると、逆に日常の小さな選択の、その自由さと、結果に対する自分の責任を考えるようになりますね。そして、それがおもしろい。

この記事を書いたのは、ジェイさんではなく、管理人のKickoff-Tです。わかりにくくてすいません。


Posted by Kickoff-T at 2005年05月02日 07:12
Kickoff-T さんでしたか。どうも失礼しました。それにしても真実味あふれる記事を有難うございました。
Posted by mikionz at 2005年05月02日 21:51
こんにちは、ジェイです。

深い記事ですね。
そして何の意図もなく哲学者の言葉をふと使ってしまうなんて、Tさんステキです。

ジェイも今まで自分がしてきた選択はどのくらいあったのかななんて、考えてみましたが、数えられるはずもなく、過去の甘い思い出と苦い思い出を思い出しました。
Posted by ジェイ at 2005年05月03日 18:38
>過去の甘い思い出と苦い思い出を思い出しました。

今後もいっぱいあるでしょうね。甘いのや苦いのや辛いのや酸っぱいのが。そう考えるとおもしろいです。
Posted by Kickoff-T at 2005年05月05日 06:30
そうですよね、

ドロップ缶みたいです。

なつかしくて、おいしそう☆
Posted by ジェイ at 2005年05月05日 11:04
「人生はドロップ缶」

さすが!ジェイさん。

私の「ジェイ迷言集」に追加しておきます。
Posted by Kickoff-T at 2005年05月05日 12:33
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